シニアーゼ〜まるくるみらくる

60代は余生じゃない。荷物を降ろした新しい人生の始まりなのだ。

「老いの福袋」の中身は、まだまだこれから!色んな意味で。

いや、参りました。

樋口恵子さんの著書「 老いの福袋」。

60歳を迎えて、ずいぶん歳を取ってしまったな~、あ~あ、なんていう気になっていましたが、この本を読むと、甘い甘い。

60歳なんて、まだまだ若い。

これからこれから!

そんな気になります。

 

樋口恵子さんと言えば、介護保険制度の生みの親のひとり。

88歳を越えた今でも、ご活躍です。

この本、88才の樋口恵子さんご本人が書かれた本なのですが、なんとまぁ、赤裸々にあっけらかんと老いの姿が綴られています。

出だしから、和式トイレで立てなくなったという悲しくも切ない実体験から始まります。何の屈託もなく、むしろユーモアを交えてオモシロおかしく淡々と書かれています。そんな調子で、老いの本当の姿を浮き彫りにしつつ、大切なことをがんがん惜しげもなく語ります。

 

私は今まで、私たちの世代こそ100歳時代に突入する「初代 カンレキ世代」であり、未知の100歳時代を暗中模索で進んで行かなければならないトップバッターだと思っていました。

ですが、「初代100歳時代のファーストペンギン」は、もうすでにここに存在していたのです。

高齢化時代を常に意識しながら、すでにヨタヘロ期の真っただ中を生きているのです。

しかも、まだまだ挑戦を止めません。

これからのビジネスモデルならぬ100歳時代の老人モデルなのです。

 

先日、テレビ番組「ガイアの夜明け」で高齢者の認知症に取り組む町田市のことが放送されていました。

そこには、認知症になっても「働ける場所」を提供し、能動的に人として社会参加できることに注力する人々の姿がありました。

 

人は、いくつになっても、どんな状況になっても、人と関わり、何かの役に立っていると意識できることは嬉しいことなのです。

定年になったから、終わり。

定年になったら、仕事も終われば、あなた自身の価値も終わりですよ、そう言われている気がして絶望的になったりします。

そこが、人をだんだんと弱くしていくと考えます。

歳をとると、働きたい、そう思っても働く場所がない、それが今の状況です。

私は、身体が動く限り人と関わり、仕事をしたいと思っています。

ただ、現状では会社員など雇われている立場だと、60歳を越えれば役立たずのポンコツ扱い。

せっかく仕事があっても、「オレ、もう67だよ。」そう言って辞めて行った同僚がいました。60歳を過ぎたら、いろんな意味で働くのは終わり、こんなふうに当事者がそう思い込んでいるケースもあります。

 

でも、これからは違ってくるんじゃないかなと思っています。

歳を取っても、体のどこかにガタがきても、何かしら人としてやれることがあるはず。

人生100歳時代に突入して、たくさんの人がそれに気づいてきていると思います。

 

以前に書いた記事があります。

良かったら覗いてやってください。

mayupp.hatenablog.com

 

樋口さんのこの本。

まだ老いなんてまるで眼中にない、若い人々へのメッセージでもあると思います。