「どうして、年寄りにこんなことさせるの!?」
70歳前後の女性がヒステリー気味に叫びました。
私の働く所では、この4月からお客様の利便性を考えてインターネットでの受付を始めました。
もちろん、今まで通りのやり方でも全然大丈夫なのですが、とりあえずお越しいただく皆様に、こんなこともできるようになりましたよと知っていただくためご説明した時のことです。
年寄り・高齢者 = インターネットなんてできない。
そういう型に自分を当てはめているのです。
歳をとったら、新しいことなんか学べない、今さら学んでどうする、そんな体力も知力も無いわいっ。私を誰だと思ってるの?
「年寄り」なのよ!
60歳前後で死んでいた時代から続いている年寄りの「型」に自分から自分を当てはめて、本当は持っている「伸びしろ」を自分自身で葬り去ってるんです。
しかもその方は、外に出てきて、活動をし、お友達とおしゃべりを楽しみ、それだけの怒りのエネルギーを発散できるほどお元気なのです。
もったいなさ過ぎます。
40年ほども前の学生だった頃、授業中に教授が言いました。
「最近の若者の言葉遣いがなってないと怒る人がいますけど、言葉なんて時代と共に変わるんです。変えてしまえばいいんです。変えられるだけのパワーがその言葉にあるなら変わって行くんです」
就活前で言葉遣いに敏感なお年頃だった私には、先生の言っていることがわかりませんでした。目の前の常識を身に着けるのに精いっぱいだったからです。
は? 先生、なに言ってるの?正しい言葉遣い、大事でしょ。
日本語が変わるってどういうこと?
なぜかこの歳になるまで、ずっと引っ掛かったままでした。
しかし、確かに変わった。
例えば、全然という言葉。これ、私の若い頃は、全否定でした。
「全然良くない」「全然できない」
それが今や、
「ぜんぜんっオッケー」「全然できるよ」
「ぜんっぜん」とひらがなで表現するくらいフランクな肯定文として通用しています。
時代の流れとともに、「全然」が持っているパワーが、いつしか意味さえ変えていたのです。
ちょっと、先ほどの教授の言葉、「言葉」のところ、「老人」に変えてみてください。
「最近の若者の老人遣いがなってないと怒る人がいますけど、老人なんて時代と共に変わるんです。変えてしまえばいいんです。変えられるだけのパワーがその老人にあるなら変わって行くんです」
ね! 笑笑
私たち現代のアラカン世代は、時代の変遷期の難しい時代を生きていると感じます。
が、だからこそ変えて行けるチャンスなのだとも思います。
自分次第で!