わくわく歩いて、一時は満足度100%に達するのではないかと危ぶまれたワタクシですが、ついに、グランマ・モーゼス展の入り口に到達いたしました。
コロナ対策で入場に人数制限をかけるため、予約制のオンラインチケットでした。
入場口にてスマホのQRコードを提示し、コードリーダーで読み込む形式。
私は当日の朝に予約・クレカ決済をして、オンライン限定チケットというのを購入しました。
なにが限定なのかというと、通常880円のオリジナル石鹸を300円お安く買えるというチケット (^o^)
通常ですと、
チケット代1600円 + 石鹸代880円 = 2480円
それがこの限定チケットでは、
2180円と300円お安くなります。
メープルを練り込んだ石鹸はどんな香りなのかな~と、嘘です。
300円安い!ってのに弱くてチョとこれにしてみました(∀`ゞ)テヘッ
他では買えないし、お得ですよね。
入口でチケットを提示すると、その場でいただけました。
👇👇👇 かわいいでしょ。とても丁寧に作った感が好きです。
しかし、そんな小さな幸せに浮かれていたワタクシは、展示ゾーンの一歩手前でいきなり!ぐわしゃどどおおぉ~ん!と胸を撃ち抜かれました。
そこには、この企画展の挨拶とともにモーゼスおばあさんの言葉が。
人生は自分で作るもの。
これまでも。これからも。
うんうん、そうよね。
まさに、そのとおりであります。
この言葉を彼女が言ったのは、もちろん若い頃ではなく画家として世の中に名前が知られるようになってからですから、80歳とかそれ以上の高齢になってからだと思います。
そこに達するまでの人生に、どんなことがあったのか。どんな風に暮らしたのか。
現代に生きる私達には想像もできないあれやこれやがあったはず。
農家に生まれ、
12歳で、裕福な家庭に住み込みとして働き始める。
27歳(私の記憶では)で同じく働きに来ていた男性と結婚。
10人の子どもを産むが育ったのは5人。
67歳(私の記憶)で夫を亡くす。
刺繡絵を始める。(これがまたすばらしい)
70代。リュウマチで刺繍ができなくなった代わりに絵を描き始め、
101歳で亡くなるまで描き続けた。
生まれ落ちた家を出て、小学生の年頃から住み込みで働き、10人産んでも半分しか育たない時代を生きた。
それなのに、泣き言のひと言も無し!
愚痴のひとつもないどころか、人生は自分て作ると。
自分の人生は、自分で作って来たと。
これまでも。
そして、これからも。
いったい、この芯の強さはどこから来て、どうやって育てたのか。
心にずしんと響いたこの言葉。
普通ならスマホでパシャっと記録したいところ。
だけど、すでに撮影禁止ゾーンに入っているので、何度も何度も反芻して頭に叩き込みました。
なので、もしかしたら、どこかが違っているかもしれません。
しかし、スマホを使えないこの状態は忘れていたことを思い出させました。
必死になって覚えようとすること。
頭の中に叩き込もうとする若い頃の自分。
なぜなら、こんなシンプルな数行の言葉ですら覚えるのにかなりの時間と集中力を要したからです。
スマホが使えることと、頭を使うことを勘違いしていたのかもしれません。
スマホに記録することで、必要に応じてあとで見返せばいいやと安心してしまい、頭の中にはほとんど記録されてなかったことも多い。
さらにはスマホに収めたことも忘れてしまう。
私はスマホに何を記録して来たのだろう。
入場の始めの一歩で、すでに何か新しい発見をした気になりました。
正確には、忘れていた脳の使い方を想い出したということなのでしょうか。
人間の臓器の中で、脳だけは使えば使うほど良いと言われています。
現代の生活の便利さと引き換えに、実は脳みそを使わない脳にとっては不自由な生活を選択しているのかもしれないと思いました。
展示場には、厳しさの中にも生活を楽しんだ彼女の暮らしが盛りだくさん。
思った以上に時間がたっぷり過ぎていて、お腹がすいてました。
すきっ腹に吹き込んでくる苦々しい風を感じながら少し考えました。
古いはずの彼女の暮らしに、なにか新しいものがありそうで。
愛しくて温かい。
本当は持っていたけど、忘れてしまったなにか。
人生が、たっぷりと豊かに思えるなにか。
それがきっと今もあるはずだから探してみよう!って思いました。
グランマ・モーゼスことアンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス。
1860年~1961年
日本で言えば、大政奉還から明治・大正そして昭和と続く激動の時代。
不自由なことが自分の身に起きても、その時、自分にできることを見出して楽しんでやってみる。
最終的に、絵画を描くことに辿り着き、
101歳のその日まで描き続け、その時代を生きた。
それは、描いても描いても尽きない思い出の風景でした。
あのあたりって、このあたりです!👇👇👇