部屋の前に来ると、車いすに乗った白髪の女性が母を訪ねている所でした。
私の存在に気がついたので、こんにちは~!機嫌よく声をかけると、
なに?と怪訝な様子です。
だれですか?
下からじっと覗き込みながら私に聞きます。透き通った白い髪です。
む、娘です・・・あー、面会に来ました。
え?なに?何かあるの?
えーと、母に会いに来ました。
え? 私もあるの?
どうやら、スタッフさんが何かで巡回してると思ったみたい。
んーと、今日は無いと思います。
あら、そう。やや納得できない様子でしたが、じゃあねと部屋を出て行きました。
元気そうで良かった。誰だかわかる~?
今度は母に向かって聞くと、目が泳いでいます。
こんなきれいな人知らないわ~と、口の方はまだ達者なようで、わからないことをお世辞でフォローしつつ答えを探しています。
とうとう忘れたのかーい。
私の顔に目を釘付けにして不安そうです。
これならわかるかな?
マスクをはずしました。
あ~、わかった。わかった。どや顔で言います。
ドヤってる時はたいていわからないのをごまかしているので、もしかしてとうとう忘れたのかも・・・
わかったの?誰~? もう一押ししてみると、ちゃんと私の名前を言ったのでひと安心。
しかし、会話のネタに、さっきの白髪の人はどなた?お友達?と尋ねると、
さあ、誰だったかしらね? わからない。
どっひゃー!知らんのか~い。お茶菓子まで持ってきてくれたのに、忘れています。
毎日、食堂で顔も合わせているし一緒に生活しているけど、ふっと忘れてしまう瞬間があるのでしょう。
忘れたり思い出したり、それが今の母の世界のようでした。
コロナの月日は、母を外部から遠ざけるを得なかったのでしょう。
遠くを見ながら、「ぼーっとしてるの」と何度も言います。
デイサービスも何も無い時間は、ひたすらボーッとしているようでした。
一緒にお茶会をしていた仲良しさんがいたはずですが、その方々のことを尋ねても要領を得ません。病院に移っただの、家族が連れて帰っただの、妄想も入っています。
皆さん母よりご高齢だった方ばかり。
この3年の間に、何らかの理由で施設を出たようでした。
ふと見ると、教科書のようなものが置いてあります。
表紙に「おとなの学校」と書いてあります。
尋ねると、お勉強してるのよ、とのこと。
デイサービスで使っているものだそうです。
中を見ると、小学校低学年くらいのレベルの内容でした。
・漢字の間違いを直しましょう。
・🔲の中にひらがなを入れて文を完成させましょう。
・懐かしい曲の歌手名をカッコの中から選んでください。
そんな問題です。
大きな文字です。
勉強が楽しいよと言います。
デイサービスで皆んなと勉強するのが楽しいと言います。
一緒にやってみると、真剣に考えて時々間違えています。
良かった。楽しいね、と言いながら複雑な気持ちになりました。
もともと気丈な人です。
入所する前は、あんな幼稚園みたいなとこ行きたくない、デイサービスなんか行かない、と言っていた人です。
3年前は、やっていたぬり絵を放り出してデイサービスを抜け出し、あんなもんやりたくてやっているわけじゃない、そう豪語していた人です。
三食昼寝付きの、なに不自由ない生活。
掃除も洗濯もご飯のしたくも嫌いだったから、今や理想の生活だね?
ふざけて言うと、う~んと天井を見ています。
家事が嫌いだったのは事実。
ぼーっとしてるのよ、また言います。
小さなキッチンがあったらどうだろう?
部屋を見渡して言うと、
火事とか起こすといけないからね〜。
なるほど。
すぐにそう答えたのは、何度もキッチンがあるといいなと考えたことがあるのかもしれません。
することが無いって、逆につらかったりするよね。
それには何も言わずにただ頷いていました。
母は歩行器がないともう自力で歩くことはできません。
毎日会っている人のことも、たまに忘れてしまいます。
同じ話を何度もします。
でも、なにかできることがあるんじゃないかと思うのです。
身体の不自由は仕方ないとしても、上半身と脳を使ってまだまだ何かできることがある気がするのです。
しゃべっていると突然スイッチが入る瞬間があるように、その状態を維持できるものがあれば・・・。
ただし、それを見つけるのは本人にしかできないのです。
好きなこと、やりたいことは人それぞれに違うし、見つけ出そうという意思が必要です。
この数十年、いや、十数年の間かもしれません。
人の寿命は、母の子どもの頃より数段伸びています。
人生100年時代が、普通にやって来るようになっているのです。
母の時代は、成人し、働き、子どもを育て、定年を迎えたらゆっくりして終わる。
そんなストーリーが普通の展開でした。
しかし、今は違う。
母に刷り込まれ植え付けられた人生ストーリーは、知らない間に変わっていたのです。
定年を迎えゆっくりしていても、終わりませんでした。
まだまだ続いているのです。
時代が人生を追い抜かしていった、と言えるかもしれません。
そのことにいち早く気がつける環境にいた、もしくは、自分の世界や環境を自力で開いた人々もいて、90歳を越えてもなお生き生きと自分を生きています。
私の時代は、今までの老い方を踏襲できない時代にすでになっていると思います。
60歳を過ぎてからの人生の方が難しい時代。
レールのない未開地をどう進むか。
難しい時代ですが、まだまだ人生を自分なりに楽しめる時間がたくさんあるとも言えると思います。
母とテレビを見ていたら、蝶々が出てきました。
子供の頃はあんなに夢中になって捕まえてたのに、今では1ミリもさわれないのよね~。なぜなのかな~?
話しのネタに話題を振ると、即座に答えが返ってきて驚きました。
命の大切さがわかるからじゃない? 命ってものの重みが…いつも心にあるから。
自分の胸に手を当てて、目が輝いています。
私は、なぜか不意を突かれた気がしました。
与えられる楽しみで、おとなしく今を生きている母。
何もすることがないのは、贅沢でも優雅でもなくつらいことでもあります。
それでも、命が続いている限り、楽しくて輝く時間を一分でもたくさん過ごしてほしいと願うのです。