シニアーゼ〜まるくるみらくる

60代は余生じゃない。荷物を降ろした新しい人生の始まりなのだ。

真夏のある暑い日に書けなくなりました

ある日突然にそれはやってきました。

書けなくなりました。

ブログが。

あんなに楽しくてわくわくする気分まで運んできてくれたブログが書けなくなりました。

書こうとしていくつもの下書きが生み出されましたが、途中でうんざりしてそのままになってしまいました。

書けない間にいろいろ面白い出来事は起きたんですよ。

12年連れ添った冷蔵庫が、まさかの猛暑日が続く日に冷えないただの箱になっていたとか、そんな暑くてたまらないのに寒すぎる状況の真っただ中に孫台風と本物の台風が同時にやってきたとか。

50センチくらいの高さの場所に飛び乗ろうとして足を引っ掛け?その勢いでカエルみたいに飛びました。そのままびったーーーんと地面に着地し持っていた日傘は3メートルあまり先にふっ飛ばされるし、手のひらに青アザはできるしで、これはコントなのか?と笑ってしまったりとか。

でも、書こうとするとうんざりするんです。

 

ーなんてつまらないんだろうー

 

自分の書こうとすることが全てつまらなく見えました。

自分自身のつまらなさを確認してしまったのかもしれません。

 

心の風邪をひいているのかな。

 

働いて、子育てして、目の前のやらなきゃならないことを必死でこなしているうちに、あっという間に60歳になっていました。

なんの取り柄も得ること無く60歳を過ぎてしまった。

残りの人生を俯瞰してみた時に、未来に絶望したのかもしれないです。

歳を取れば取るほど、未来への希望はなくなります。

今まで、未来を信じて生きてきましたが、ここまで来るともはや未来に未来がないじゃないか、なんてね。

 

それでも、ウクレレは続けています。

あれは夢中になれます。

どうしてなんだろうと考えたら、未来があるから、だと思いました。

学び続けられる未来があるから。

これ絶対に弾けるわけない、そう思っていても少しずつ少しずつ弾けるようになっていく。やればやるほど、練習すればするほど、自分でも驚くくらい弾けるようになっていくのです。

人間の脳は常に新しいものを欲しているのだと思います。

新しいものを吸収すること、それが学ぶこと。

そうだ、学んだ先に見えてくるものがないから絶望するのかも。

 

こうしてここに、またもやくだらないあれこれを書き綴っていたら、なんだか、ああ、あれもまだ未来があるじゃないか、これもまた元気ならできるじゃないか、と、そんな気がしてきました。

生きてることは当たり前なことじゃないですよね。

当たり前じゃないのだから、生きていること、大切にしなくちゃいけませんね。

まだ生きていて未来があるのですから、卑屈にならず、人生を諦めずに一歩一歩老いて行こうと思います。

 

あれ?

ブログが書けなくなった話しじゃなかったっけ?

 

こんなどうでもいいこと、ここまで読んでくださってありがとうございます。心から感謝です。

なんだかね、書こうと思ってたことあったな、あれを書いておこうかな、そんな気がしてきました。

書けなくなったことを書いていたら、書けそうな気がしてくるなんてね。

そのうち書く気になれるかもしれないです。

ちなみに、「乾燥ひじき」じゃなくて「生ひじき」というものを煮たときの小さな衝撃の話しです(笑)

え? それこそどうでもいい話しですって? ですよね~

え?こんなたくさんのゴミなに?と思ったら、どうやら地味に咲いている花のようでした。