猛暑にもめげずに、60代の4人が久しぶりに会うことになりました。
定年後の第一の職場で同じチームだった
女子3名 + 男子1名
「老男女4人猛暑💦夏物語」です (笑)
私を除く3名は65歳越えですがとても元気です。
女性一名は病気でやむなく退職したので、否応なく盛り上がるのは病気関係のお話し。まさにあるあるでしたが、60歳を越えると、なぜか色んな所に不具合がでるのも事実なのです。
そんな中、紅一点ならぬ、白一点の現在悠々自適暮らしの男子から、
「旦那さんはどうしてるの?」
すでに定年退職した夫を持つ2名に話が振られました。
ぼーっとしてる。
ひとりが答えると、
ボーっとしてる。
もう一人も答えました。
一日中、家にいてぼーっとしてるのよ。出かければいいのに!
お昼ごはんすら自分で用意しないし、ウザすぎる!
二人とも、引きこもりみたいに一日中家にいる夫族に苛立っている模様。
悪口大会開幕かと思われましたが、今日のところは白一点の彼の話を聞くことになりました。
彼は、60歳で定年退職し、65歳の時に入った職場で私たちと出会いました。しかし、70歳になる前にお辞めになりました。
なぜ辞めてしまうのか尋ねたことがあります。
彼が言うには、
人生の残り時間を考えたらさ、俺もう仕事なんかしてる場合じゃないのよ。午前中、病院に行ったら午後は動けない。午後に買い物に行くなら午前中はゆっくりする。一日に2個以上の用事ができないの。体力的に無理なんだよね。
がむしゃらに昭和のサラリーマンを貫いて来た彼。
私たちによく語ってくれたのはサラリーマン時代の武勇伝でした。
会社人生こそが彼の人生だったのだと思いました。
で、定年退職したあとって、どうなの?
尋ねてみますと、
まずね、会社時代のさぁ、課長だの部長だの社長だの(彼は最終的に子会社の社長でした)そういうのも含めて、ぜ~んぶよ全部、連絡とか人との繋がりとか一切なくなるわけ。会社繋がりの人間関係なんて、噓みたいに何にもなくなるのよ。そりゃそうよね、辞めた人に用なんかあるわけないからさ。
最終的に、人との繋がりで残ったのって学生時代の友人数名。だけど、みんなあちこち地方に住んでたりして距離的にホイホイ会ったりできないの。
何ていうか、そういうね、喪失感みたいなのかな。
そこを抜けるのに、しばらくかかったね。
昭和を生きてきた世代は、それこそ「24時間闘えますか」のキャッチフレーズ通り、企業戦士とか煽てられ家庭すら顧みずに猛烈サラリーマンとして生きるのが当たり前でした。むしろ、それがカッコイイとさえ思っていたかもしれません。
生きるために働く、と言うより、働くために生きているみたいでした。
彼らにとって、会社こそ人生を彩る舞台だったのです。
だから大舞台「会社」を失うと、手元に何も残っていないってことになりがち。
会社という舞台を降りれば、ただの人。
背負っていた看板を降ろし役柄を降りれば、何の後ろ盾も仕事もなくなる。
辞めてからやっと気づく丸腰の自分自身に呆然とするんですよね。
彼は、さらに続けて語ります。
そこを抜けるとさ、小さな楽しみでいいじゃん、旅行が好きなら時々行けばいい、散歩が好きならすればいい、なんでもいいんだよね。楽しみがあるなら何でも。
俺は今、洗濯物干すのにハマってんの。
どうやったら早く干せるかとか、良く乾くかとか、洗濯物干すのって奥が深いね!
(うんうん、わかる。わかる。どんな小さな仕事でも、真摯に取り組むと面白さがあるよね。洗濯物だけじゃないんだけど、よく気づいたよね!)
次は取り込んだ洗濯物の畳み方が課題だと嬉しそうに笑っておりました。
これからは、「自分にとって」何がいいのか、何が楽しいのか、何をしたいのか、この先どう生きたいのかが一番の課題な気がします。
逆に考えれば、他の人と同じでなくていい。
こう生きるのが正しい、みたいな刷り込みもありません。
いつからが老年時代なのかという定義もありません。
自分なりの人生を生きればいい。
洗濯物の面白さに目覚めた彼は今、地元の自治会に入り、お揃いのスカイブルーのTシャツを着こなして颯爽と(←あくまで本人の弁)活動しているそうです。
おやじ同士の友達もできたようですが、おやじというのはあれこれ拘りが強くてなかなかに面倒くさいともこぼしてました(笑) (でも逆に、そこが面白そう)
さらに、社会的な風潮に反して、車を買ったらしいです(もちろん、自動ブレーキとか付いてるやつ)意外にも奥様が(←彼の)喜んでるんだよ、とお顔をてかてか光らせて笑っていました。
(自由に生きてるな~)
実際のところ、体力的に動きづらくなってからが本当の老年時代への突入なのかな〜。
体力と気力がある残りの時間はわずか。
どう生きるかは、その人次第。
体力と気力をどうやって持ち続けるかも、その人次第。
今のところ私は、ゆる〜く長く仕事を続けたい派。
残りの人生、みんな違ってみんないい(どっかで聞いたフレーズ)
できなくなることを受け入れつつ、面白がって生きたいな。