くらすこさん、落ち着いて来たのでご飯でも食べませんか?
嬉しいお誘いが届きました。
一年以上ぶりです。
町内の役員活動で出会った方。
彼女もまた、60歳定年を前に、同じ職場での再雇用を取るか、違う場所に飛び込むか選択に迷っていた一人です。
一昨年、ヨイショと腰を上げ、
何とかやり遂げることができた町内の役員活動。
慣れない人々との大変な一年でしたが、彼女とはそこで知り合いました。
役員活動が終わって、お疲れさまの打ち上げと称して女子4人会をして以来です。
一昨年のその打ち上げの時に、彼女は再雇用か、かねてから興味があった方向へのチャレンジか迷っていたのです。
・再雇用は精神的にもスムーズ。
・再雇用なら、人間関係も一から積み上げる必要が無い。
・再雇用なら手続きもスムーズ。
反面、
・60歳を越えたら、ガッツはあっても生物としての限界がやってくる。
・体力的に今まで同様に働くことが難しくなる。
・まだ元気でいられる今だこそ、やってみたいことを優先したい。
そんなこんなで、彼女も相当迷ったみたい。
色んなチャレンジをしたようです。
今回は二人だけで、ちびちびお酒をいただきながらしっぽり話ができたので、前回は聞けなかった彼女の今までの人生も聞くことができました。
それはそれは、順風満帆。
約40年前の学生時代から追いかけてきた希望や野望、それらをひとつずつ階段を登るように実現してきていました。
そしてついに、今までの絶対的安泰な職場での再雇用は見送り、新しい職場に降り立ったのです。
私なんか及びもつかない、高いスキルが必要な職業。
たくさんの経験と特殊な学びが必要なニッチな世界でした。
それだけに、一度なんらかの仕事を請け負い気に入られると、そこからまた新たな声がかかって次へと繋がっていった、そんな人生でした。
気に入ってもらえなければ声がかからなかったし繋いでもらえなかったはずです。
彼女の人柄と仕事ぶりを信頼した誰かが、違う場所へと導き、手を差し伸べ、次へ次へと繋がって行ってるんです。
しかも、出会うはずのない偶然の出会いがあちこちにあり、その人たちがまた偶然にも繋がっていたりして。
彼女の言葉で言えば、「世界って案外狭くてびっくり」・・・
すごいなあ。
何かを成し遂げた人によくあるパターンな気がします。
彼女にそういうと、
そんなそんな自分なんかと謙遜しつつ、
けれども、こうやって今の場所に辿り着いたってことは、自分に何かやらなきゃならない使命があるんじゃないか?そう思うようになったのよね。それが何なのか、まだわからないけど!
そう言って笑っていました。
なるほど、その使命へと導かれてるのかな。
いつかその使命に気がつくのがまた、楽しみね!
以前、負のエネルギー、マイナスエネルギーをプラスに変えることの素晴らしさを書きました。が、彼女の場合は、
プラス+プラスエネルギーからのプラス増し増し!
もうプラスしかないじゃないですか。
小さなランプから飛び出すのは、悪者ジーニーじゃなくて強大な力を持ちつつも心優しい利他的なジーニー。
始まりは小さなランプの中でも、長い年月を経る間に力をつけたジーニー。
ランプを飛び出して、新たなる自由の世界に羽ばたいた。
話を聞きながら、私も一緒にわくわくしました。
しかし、外から見るとプラスばかりの順調な人生でも、そこに至るまではたくさんの難所や失敗があったはず。
「大学を卒業する時の就活は、どんどん落ちて全然受からなかった。だから、とりあえず受かったところに入った。そこで働きながら勉強して、希望の会社にリベンジしようと目論んでいた。けれど、入ったところが案外楽しくてもう辞めなくていいやってなった。楽しみつつ自分のやりたいことをアピールし続けていたら協力してくれる人が次々と現れた。そして、今の彼女がある」
彼女の話を要約するとそういうことになるけど、それって、かなり努力してきたってことよね。
結局は、彼女の人柄が繋いだ(と私は思う)縁で決まったのだけれど、
今回の新たな職場に辿り着くまでも、「何回も落ちた」と屈託なく笑っていたし。
きっと、彼女にとって失敗や転倒は、何でもない次へのステップ。
難所でいちいち落ち込んでも無駄だしね!
流されて気持ちいい時は、そのまま流れに乗る。
どこからか人が運んでくれたチャンスはきっちり掴む。
60歳を過ぎてもまだ、目の前にどんどん道が広がっている。
選んだ道が時代にマッチしていたこともあると思うけど、マイナスをマイナスと感じずに、プラスへプラスへと変換していくキャラクターと能力。
そんな彼女と知り合えた私もまたラッキー。
話しが尽きずに、閉店の時間となりました。
数日前に満月だった月を探しながら、
赤ちゃんなのにイチョウの形のイチョウの葉っぱが感動的なこと、
空に突然かかる虹に巡り合えた時の、はーっ!ていう気持ち。
60歳を過ぎて気づく、
「見えていたけど見てなかった」
目の前の小さな幸せについて、
小学生みたいにきゃあきゃあ語り合いながら帰りました。