シニアーゼ〜まるくるみらくる

60代は余生じゃない。荷物を降ろした新しい人生の始まりなのだ。

そこに人がいるということ

新着記事を見ようと購読リストを開いてハッとなりました。

そこに「待っていた」ブロガーさんの投稿を見つけたからです。

元気でお過ごしなのだろうか。

まさかこのままフェードアウト…だけはやめて欲しい。

御病気から立ち直られたあと、投稿を見ていませんでした。

ずっと次の投稿を待っていました。

ご本人様によると、5カ月ぶりの投稿ということ。

良かった。

本当に良かった。

しかもお元気そうで、とても嬉しかった。

 

いつもの淡いピンク色のアイコン。

他にも、勝手に親近感を抱いているブロガーの方々のアイコンを目にすると「来た来た~今日はなに~?」と嬉しくなります。

なんでしょうね?これって。

いつも行く場所に、いつもある顔。実際にはアイコンだけど。

アイコンの向こうに、生きてそれぞれの日常を過ごしている人がいる。

 

朝ドラの舞ちゃん、見てますか?

今日はだーだー泣きましたよ。

ずっとずっと秘めて来た想いを、初めて打ち明け合った舞ちゃんと貴司君。

打ち明け合うまでの過程が、美しすぎて切なかった。

良かったね。良かったね~。

ドラマの中の出来事なんですけどね~。

 

人って、こうしてお馴染みになったものに感情を一緒にできる生き物なんですね。

先日もテレビで、森山良子さんが偶然出会った人と、昔から知っていたようにスッと心を開いてしゃべったり歌ったり、ほんの少しの時間一緒に過ごしただけなのに、二人が別れて行くのを見た時、なぜか胸がいっぱいになってしまいました。見たら同じように森山さんも涙していて、なんか、人ってすごいなぁって。

 

歳を重ねて涙もろくなるのは、感情をコントロールする脳の機能が衰えるからだと言われていますが、決してそれだけではないと思うんですよね。

たくさんの年月を生きてきて、たくさんの事を経験した。

その積み重ねのストックから導き出される感情。

それは、均一ではないし、ちょっとしたことで、例えばほんの少しの目の動きとかで変わる。とても複雑なもの。

これは、たとえAIがどれだけ進化しようと理解できないんじゃないかな。

 

久しぶりに郵便局に行ったら、郵便窓口は結構混み合っていたけど、窓口ひとりひとりの係の方々が、それぞれに真っすぐ相手の目を見て対応していて、時に一緒に笑ったりもしていて、あ~そうなんですか。それならこうしましょうね、なんて言ってたりして。なんだかすごくいいな~、人っていいな~ってしみじみしました。

もしも、これが全て機械化されることになったら、こんな小さな笑顔すら消えて、融通の利かない自動音声で淡々と導かれて、えっとえっとこのボタンを押して、とかなって、そんなの全然つまらない!

なんてなりながら、順番を待ったのでした。