シニアーゼ〜まるくるみらくる

60代は余生じゃない。荷物を降ろした新しい人生の始まりなのだ。

ファミサポ💛良い人でいたいわけじゃない

子育て支援に加わろうとしているわけですが、決して世のため人のためとか一般でいう良い人でありたいからではありません。

 

踏み出した理由は二つ。

 

1.行き場のない「かわいがりたい」気持ちの持って行く場所が欲しかった。

 

これについては、以前にも述べました。

孫というものを持つことができるという、大変にありがたくめでたいことを享受することができたのですが、実質的な距離とか若い両親の子育てに対する姿勢とか、絶え間なく孫に関わるには難しい状況にあること。

難しい状況ではあるが、孫を持って初めて気づいた「子どもという生き物のすばらしさ・かわいさ」に対して溢れかえる「愛でたい」気持ち。その気持ちの持って行き場所が欲しかった。

 

2.自分探しの一貫。

 

歳をとって老いる、という現実の怖さ。

50代までは想像していなかった、いや、できなかったと言った方が正しいと思います。

実を言うと、現代の60歳台は健康であれば昔の同年代と比べて格段に元気であり何でもできます。なんなら新しいことを始めることも可能です。

しかし、問題は、社会的に「もう役に立たない年代」扱いにされていることなんです。

確かに、見栄えも悪くなるし、あちこちにガタが来ますが、医療に関わらずそれを補う多方面の技術もまた進歩してきています。

これからずっと先の未来は、まだまだ社会的に通用する年齢として扱われ、体に可能な限り働き続ける時代が来るでしょうが、今はまだその過渡期です。

私は、その過渡期にある段階での一歩として、何らかのお役に立てる自分を探したいのです。それはまた、私自身の楽しみでもあります。

 

時を同じくして研修を受けた、まだ30代の子育てまっさかりの方たちにも尋ねました。

なぜ、子育て支援に手を挙げたのか?

自分の子育てで精いっぱいではないのか?

子育てには、すでにうんざりしていないのか?

 

答えは、

・ 自分がこの支援によってものすごく支えてもらったから。

この答えが複数ありました。

自分が助けてもらったから助け返したい。助けてもらいたいほど大変な思いをした子育てという仕事を、「ああ乗り越えた、終わった」でなくて誰かのためにまだ続けましょうというのです。

これは、助けてもらったことでそのやり方や内容をより具体的に把握しているからとっつきやすい、ということもあるとは思います。

中には、預かってもらった家に自分の子どもより年齢が上の子どもがいて、その子と関わることによって得られた我が子の精神的な成長がすばらしくて感動したから、という人もいました。

・ 自分の子育て中の子どもと、預かったお子さんを一緒に面倒をみたいから。

というお答えも複数ありました。

子育ては大変で気が抜けなくて目を離せないけど、どうせならまとめて面倒見るかな、また、誰かの大切なお子さんと一緒になら面倒も楽しく思えるかもしれない、誰かのお役に立っているのだから。というのもあるかもしれません。

 

子育ては、向き合う方向によって、楽しくもなれば、足かせにもなります。

どっぷりと子育てに浸かることは、以前は女性の社会進出を阻むものでもありました。

今でもそれは同じかもしれません。

でも、「未完成な生き物」として生まれてきて、たくさんの人の手によって長い年月をかけて「人間」になっていく過程は、ものすごく面白いし、育てることも育つことも「人間」であればこそできることです。

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光をうけて輝く水草

私がこの活動に加わろうとしているのは、自分のためであることが大半ですが、私はそれでいいと思っています。

動機は何であれ、誰かの踏み出す一歩がいずれ、進んで行く時代を導いていくことに繋がるかもしれません。

それを信じて、いろんな形で未来に一歩を進めていくつもりです。

 

ただし、私はすでにシルバー世代。

実力の届かないところにまで手や口を出して老害化することだけは避けること。それだけは常に意識しておかなければならないですね。

これ、とても重要なんですけど知らず知らずやっているんですよ。

今現在の自分にできることだけをやって行こうと思います。