ーーー 今日はチョットシビアな話題です ーーー
「母親ならポテトサラダくらい作れ!」
「母親ならベビーフードなんか買わないで手作りしろ!」
ここの所、Twitterなどを賑わせている言葉。
いずれも、それを購入しようとしていた若いママに向かって投げられたもの。
顔も名前も知らない、当たり前だが、相手の背景や事情もいっさい知らない。
そんな人が、いきなり唾を吐き捨てるように暴言を吐いて逃げ去った。
吐きかけられた人の気持ちなんか考えもしない。
この人たちって、子育てしながらポテサラ作ったことあるんかいな?
初めての子育てで、悩みながら離乳食に取り組んだことあるんかいな?
この人たちにあるのって、たぶん、
・ 何らかの不満。
・ 何らかの苦しみ。
・ ちっぽけな虚勢。
他にもあると思うけど、自分ではどうにもできない(と思い込んでる)何らかの不幸せ。
自分の事だけで精いっぱいで、相手のことに考えが及ばない。
パッと見て、気に入らない、かつ自分より弱そうな相手に吐く言葉の暴力。
私の初めての子育てを想い出した。。。
私の初めての子育ては、慣れない土地、朝出勤したきり帰宅しない昭和な働き方の夫、話し相手のいない孤独な子育てだった。
会社勤めして習い事をしたり、給料をもらって社会人していた自分に懐古しては唇を噛んでいた。
自分はもう社会の一員じゃないんだ、社会的活動と切り離された「ただの人」。
そう思って焦ってた。
そんなこんなが苦し過ぎて、我が子に怒鳴りちらした。
我が子でありながら、その気持ちに考えが及ばない。
自分のやり場のない不満を、か弱いわが子にぶつけて、寝顔を見ては泣きながら謝った。
その頃の私には、ポテサラもベビーフードも手間暇のかかることだった。
その後、幸いにも、子どもは成長し、それに伴って初めてのママ友ができたり、未知だった子育ての世界を広げる余裕もできた。
なにかに苦しんでいると、人は自分を失うのかもしれない。
コロナウィルス、自然災害、これから先、どんなことが起きるか誰にもわからない。
けれど、
もう、二度と、あんなみっともない自分になりたくないし、ならない。
苦しんだからこそ、わかったものがある。
ーーーちなみに、ポテサラは今でもメンドクサイ。。です (;^_^A