芝生の小道を歩いていたら前方から声がした。
「入っちゃだめ! 怒られるよ!」
芝生には、ー養生中です。入らないでくださいーそう書かれた白い板が立っていた。
3~4歳くらいの子供が柵をかいくぐって芝生に入ろうとしていたのだ。
声の主の若い父親と思われる人物が、幼い子の手を引き戻していた。
「怒られるよ」と。
こんなに、だだっ広い原っぱを見たら誰だって足を踏み入れて駆け回りたくなるだろう。
親にしてみたら、子供の喜ぶことはなんだってやらせてあげたい。
自分だって、駆け回って嬉しそうにしている我が子の顔を見たいのだ。
どんどん入って、思い切り遊ばせてやりたい。
だけども、養生中。
でもちょっと、待って。
「入っちゃだめだよ」
で、そのあと、
「怒られるから!」
ふぇ? ? ?
いったい、だれに怒られるというのだろう?
どこからか鬼のような形相をしたオヤジが走り出て来て、その子を叱り飛ばすとでもいうのかな?
叱るのは親のあなたであって、他の誰でもない。
自分が叱って嫌われたくないのかな。
怒られるからだめだよ、叱られるからだめ、そう子どもを注意する声。
時々耳にすることがあるけど、そのたびに、違和感を感じる。
いや待って、てことは、親のあなたは構わないと思っているってことよね。
今回のことで言えば、パパは入っていいと思うけど誰かに怒られるといけないから止めよう、ってこと。
きみもパパもぜーんぜん悪くないけどさ、入っちゃって暴れまわったってかまわないんだけどさ、怒る人がいるからさ、怒られたくないじゃん、だから止めようね。
そーゆーことよね。
大事なのは、芝生に対する思いやりとか、芝生を育てている人への気遣いなんじゃないかな。
きれいに保って皆に楽しんでもらおうと地道な作業を重ねて努力している人がいることを瞬時に想像できる力。
その力があれば、感謝こそすれ「誰かに怒られるからだめだよ」なんて言葉は出て来ないはず。
芝だって公園だってトイレだって、もちろん家の中も、どこだって、ほっといて勝手にきれいになったり美しくなったりするわけじゃない。
そうなるために、やってくれている誰かがいるのだ。
・ 止めるのは「怒られないため」と教える。
・ 止めるのは「なんのためなのか」「なぜなのか」を教える。
・ 何だか知らないけど怒りが湧いて親自身が叱る。
どれを選ぶかは親次第。
かく言う私も、何だかわからないけど怒りが湧いてきて叱り飛ばすことも多く、あれはたぶんワンオペのストレスを子どもにぶつけてたのかなと、今さら反省することばかり。
ふと見ると、
「きれいだね~。入りたいよね~。
でも、この子たちね、草の赤ちゃんなんだよ。
踏んづけられたらイタイ~イタイ~ってなるの。
かわいそうだよね。
○○ちゃんも、踏んずけられたら痛いからやだよね。
ほら、あっちの葉っぱを見に行こうか?」
そう言って坊やを優しく誘導しているママの姿があった。
おみごと!
子どもは、擬人化を何の抵抗もなく受け入れられる生き物。
ほんの少しの想像力で、坊やの頭の中に絵を描いてあげられる。
そんなふうに逆に心が豊かになれる表現ができるなんて、なんてすてきなんだろう。
子育て中のキリキリしたあの頃の自分に教えてやりたいな、なんて思いながら緑の小道を歩いた。