シニアーゼ〜まるくるみらくる

60代は余生じゃない。荷物を降ろした新しい人生の始まりなのだ。

孫がかわいいことには深いわけがあった

コロナ自粛、いつまで続くんでしょうか?

誰にもわからないし、見通しも立たないです。

いい加減イヤになりますね。

 

うううおお~!!! ( ;∀;)

 

と心の中で叫んで、命がけで闘ってくださっている方々に感謝。

迷惑だけはかけないようにしなくちゃ。

 

さて、そんな中、我が家に産後回復のため滞在していたMAGO!一家が、自宅へと帰って行きました。

 

どーなったでしょうか!?

 

はい。

 

間違えずに、孫ロスになりました。( ;∀;) 

 

立ち直るのに3日かかりました。

 

かんっぜんに、ほわほえあの沼に落ちておりました。

 

ほわほえあの沼。。。ワタクシの造語ですので少しばかりご説明させていただきます。

 

MAGO!。。。つまり初孫が生まれるまで、すでに孫を持つ諸先輩から色々と聞かされてはおりました。

 

*何してもかわいいの!

*写真にチューしちゃうよ!

*毎朝写真におはようを言うことから一日が始まるよ!

 

などなど。色んなかわいくてたまらん表現を聞いてはおりましたが、実際のところ全く実感ありませんでした。

 

そんなにかわいいもんかいな?  ほじほじ。。。

写真に挨拶するって?  ( ̄m ̄〃) ぷぷっ。。。どーかしてるでしょ。

 

てなもんでした。

 

ところがです。

生まれたという知らせを受けて、病院に行くわけですよ。

なんでかわかりませんけど、追い立てられるように行っちゃうわけですよ。

そして、ドラマよろしくガラス越しにご対面するわけですよ。

看護師さんが気を利かして、窓際の一番見やすいところにベッドごと移動させてくださるわけですよ。

ほんでもって、、、なんだかわからないけどワクワクしながら、

 

見る! と。。。

 

まだ、生まれたばかりで、赤かったり黒かったりしてるし、お腹の中にいた時の羊水をゲロゲロと吐いてたりしてるんですよ。

まじで、まだ、魚類と人類の間を行き来してる生き物なんですよ。

そんな生き物を、目を皿にして見る! わけです。

 

するとですね、まーーーっ!!!

 

一瞬で、恋に落ちました。

恋。

これはもう、恋です。

ひとめぼれ、ってやつです。

まだ人でもないウニャウニャした生き物に対してですよ。

 きゃわいい~💛 ってね。目がハートになってですね。

 

そこからが、沼。

沼なんです。

 

ずぶずぶですよ。

でれでれですよ。

ふにゃふにゃですよ。

理性を失って ほわほえあ なんですよ。

あれよあれよという間に、引きずり込まれて抜けなくなるんですよ。

 

怖いですね~。

 

我が子の時は、早く大きくなって欲しい。手がかからなくなって欲しい。

泣くな~! 遊べ~! 食べろ~! 寝てくれ~! 

妖怪人間ベムじゃないですけど、早く人間になってくれ~!

てな感じだった気がしますけど。

 

ちゃいまんがな!!!

 

泣く → あら~♡ 声出して知らせたの?えらいえらい♡

泣きわめく → うわ~♡ そんな大きな声が出せたの?嬉しいな〜♡ えらいえらい♡

おしっこ → いっぱい出たね~すごいね~♡

ウンチ → うわ~♡ 出たのぉ?いいのが出たねぇ~♡ えらいえらい♡

お風呂 → 頭ガクッってなる後姿かわいい~♡ カエルみたいに浮かんでる姿がかわいすぎる♡ 

寝る → 天使やん♡ 天使ちゃん早く起きないかな~♡

 

我が子とのこの差って、なんですか?

     

考えてみました。

 

✿ 我が子の子育てに対する懺悔

よく耳にする理由は、以下のことです。

・我が子の時は余裕が無かった。

・育てるのに必死だった。

・自分の子でないから責任感が違う。

・めんどくさいところは親がやるから、可愛がるだけでいい。

 

それは確かにそうですけれども、私の場合は、自分の子育てに関してたくさんの反省や、我が子に対する「こうしてやれば良かった。」「こうすれば良かったのに気が付かなかった」「こんな親でごめんよ」なんていう後悔っていうのかな、懺悔したいことがたくさんあって、もう一度やり直せたら。。。ていう気持ちがあるわけですよ。

特に家事なんかこだわらないでズボラでGO!すれば良かった、とか、書き出すと取り留めないからやめますけど。

 

 

 ✿ 先の見通しが見えている

特に、最初の子なんて、生まれたその時から、なんとなく人として見てしまうという間違いを犯していたんです。あ、私の場合ですけど。

生まれてしばらくなんて、人じゃないんですよ。

思い切り小さな人が、泣いたり、わめいたり、飲んだり、出したりしてるわけじゃないんですよね。

それがわからなかったんですよ。

生き物として、出てきていい状態にまで育ったから出て来たに過ぎなかったんですよ。

頭の中なんて、まだ、何色にも染まってないし、頬に何かが触れたら乳を飲もうと口を開けるとか、そんな生きるための条件反射しか備わってない。

目だってちゃんと見えていないわけですし。

その生き物に、人間になるものを懸命に注ぎ込んでいく、しかも、段階を踏んで。

初めての子なんて、その段階とかタイミングとかがわからなかった。だから、常にイライラしてた。どうして?とか、なんで?とか、要求ばかりするとか。

些細なことで死んじゃうんじゃないか、なんていう恐怖もあったし。

でも、今は違うんです。

人間というDNAを持った生き物が、だんだんと人間になって行く、その過程をすでに知っている。

これって、すごく大きいと思います。

 

(コロナ禍だって、今後どうなって行くっていう見通しが立てばきっとみんなもっと頑張れるし楽になれるのに。初めてって恐怖です)

 

 

✿ 自分の赤ちゃんではない

血は繋がっています。

だけど、私の赤ちゃんじゃないんです。

私の赤ちゃんたちは、もうすでに、赤ちゃんではなくなり、ひとりの人間として自分を生きている。もう、親である私を追いかけたり、泣いて呼ぶこともない。

だからこそなんですよ、泣いて呼んでくれる孫についつい自分の赤ちゃんを重ねてしまうんです。

思い出すんですわ。

大変だったけど、それゆえに、誰よりも大切でかわいかった我が子を。

あの頃は、ごめんね、ちゃんと気づいてあげられなかったね、なんて自戒も一緒に。

 

 

✿ 孫こそアイドル!

最初の子が生まれた時、母から聞かされたのは、「あなたは、お乳を飲む以外はいつも寝てばかりいて手がかからなかった。」だから、この子がそうでないのはなんでだろう?てことでした。

私の最初の赤ちゃんは、本当によく泣く子でした。しかも、頭のてっぺんから出すようなひどい泣きっぷりで、今ではこれを「てっぺん泣き」と呼んでますけど、それが毎回のことで、腸閉そくなんじゃないか、とか、体に異常があるんじゃないかとか、もうね、毎回、はらはらドキドキで疲れ切ってました。

でもね、今思うと、理由があったと思います。

そんな泣き方をしなきゃ親に伝わらない何かが。

 

それを察知できなかった。

 

なぜかというと、赤ちゃんはこういうものだ、という先入観があったから。

そういう失敗をたくさん思い出してしまうんですよ。

 

今はいいですね~。

何かあると、さっとネットで調べて、色んな考えや多様なケースを確認できる。確認して学べる。その子に応じた自信のある子育てができる。

違いがあってもそれでいいって思える。

 

今となっては、私自身が先入観。

孫のママに余計な口を出さないようにすること。

これが一番の命題で、一番の難題。

気づかずに出しているんですよね。余計な口。

 

求められない限り、口を出してはいけない!

 

口は出さずに、成長していくあるがままの姿を丸ごと、ひたすら応援すること!

 

手の届かない、追いつかない新しい世界を生きている孫は、つまり、アイドルなんです!

 

アプリ「みてね」で写真や動画を眺めて楽しむことで満足しておかなくては、と思います。

 

 

 

 あ〜(#^.^#)

でもね〜、あの小さくて柔らかな温かい体の感触とか重さ、顔まわりのミルクの臭いとか、たまらないです。

猫の肉球の臭いフェチの人とか気持ちわかるわ〜!!!

また嗅ぎたーーーーーい!

 

 

以上、

ほわほえあの沼の住人からの報告でした。