シニアーゼ〜まるくるみらくる

60代は余生じゃない。荷物を降ろした新しい人生の始まりなのだ。

実家を始末するという思いがけない痛みに

なんだろう、このテンションは。

テンションの低いことは書き残したくない。

でも、どうしても書かずにいられない。

 

今日、いきなり司法書士さんからの郵便物を受け取った。

中身は、実家の売却に伴う手続きについてであった。

 

そうか。

ついに、売れたんだな、、、。

 

父は十年以上前に他界した。

母は、認知が進んでもう一人では暮らせないが、介護施設で元気に暮らしている。

そして、実家は空になった。

時々、別荘代わりに使うには遠すぎるし便利が悪すぎる。

母が施設へ移ってからは誰も使うことなく、ひっそりとただ立っていた。

ほうっておくと空き家税もかかるし、もともとの父の名義のままだから放置しておくとあとあと大変なことになる。

 

実家から2時間ほどのところに住んでいる兄が、家の中の生前整理から始まって、ひとりで手続きを進めてくれたのだ。

忙しい中、時間を絞り出してやってくれた。

任せっきりになっていたので、その後、どうなったのかはわからなかった。

 

ただ、兄からは、戸籍謄本と印鑑証明を用意しておいてくれ、という連絡だけはあった。

なかなか売れにくいらしいとも言っていた。

 

だから、のほほんとしていた。

心のどこかで、売れないことに安心していた。

 

ところが、

 

ついに、来てしまった。

 

司法書士さんから、手続きの必要書類送付のお願いが届いたのだ。

 

売れた。

売れてしまった。

父が、一生懸命に働いて建てた。

一番いいと評判の大工さんに建ててもらった。

私たち家族のために、あちこちに工夫をこらして建ててもらった。

私たち家族の歴史が刻まれている家。

 

もう、私たちの家ではない。

 

そう思ったとたん涙が溢れて止まらなくなった。

笑っている父の顔や、訪問するたびにそこに座っていた母の姿や、庭の木陰でじっと産まれたばかりの長女を愛しそうに抱いていた父の姿や、当時飼っていた犬が庭を駆け回るのや、それを声を上げながら見ている幼い長女を笑顔で見ていた両親の姿や、もう、もう、次々と頭に浮かんできて止められなかった。

ドラマやなんかで、思い出の映像が次々と浮かんでは消えていくシーンがあるが、あれは実際にあるんだとわかった。

なぜか、父の名前を呼んで大声で泣いた。

どこかにいてくれるかもしれない父が、一緒に泣いているかもしれなかった。

 

実態のあるものに固執はしたくない。

なんだって、いずれは消えるのだ。

朽ちて消える前に、誰かが手を入れて使ってくれるってことじゃないか。

また、あの家に明かりが灯り、家族の笑顔が繰り返されるんだよ。

 

そう思うと、少し穏やかな気持ちになった。

 

ありがとうございます。

この家を、どうぞ、どうぞよろしくお願いいたします。