暑くもなく寒くもなく、出歩くのには絶好の季節。
緊急事態宣言は解除されたがしかし、未だコロナの影響で無防備に出かけるのは憚られる。
三密にならなければいいんじゃないか。
誰しもがそう考えるのであろう。
最近の鶴見川の河原は、かつてないほどの賑わいであった。
ワタクシは、コロナ禍に見舞われる前から、この河原を愛用している。
言わば、鶴見川の重鎮、そう呼んでいただいても差し支えないほどのヘビーユーザーなのである。
そこへ、河原? しょっぼ! んなとこ行かねーわ。 だっさ! と、普段ならさんざんの罵詈雑言を並べ立てていたような若僧たちが、これ幸いとこぞってやって来ているのである。
たっぷりと白髭をたくわえたじいさまなら、両手の杖をガンッとひとつ鳴らして、
(じいさまは御高齢なので杖2本がデフォルト)
「控えおろ~!!!
この鶴見川様をなんと心得ておる。
世が世なら荒くれに荒くれて怒涛のようにお前たちを押し流してしまうところじゃ~!
やたら歩き回ったり走ったりボールで遊んだりして楽しく過ごして(若干じいさまのやっかみが入っている)鶴見川の神々を怒らせるでないぞよ~ふんふんっ!」
と、息まいていることであろう。
たしかに。
じいさまの言う通り、古来この鶴見川は荒くれものの氾濫川であった。
洪水による被害も多く、それをなんとかしようと、新横浜に洪水調節機能を持った多目的遊水地が作られたのである。
まだ記憶に新しいラグビーワールドカップ 日本 対 スコットランドの熱戦が行われた、あの横浜国際総合競技場(日産スタジアム)もここにある。
洪水対策のため、横浜国際総合競技場(日産スタジアム)も高床式だ。
高床式スタジアム、珍しいと思う。
さらに興味深いのは、遊水地の「堤防のしくみ」である。
当時、工事に携わった方の話しをテレビで見たことがあるが、中でも越流提の高さのあんばいがものすごく難しいとおっしゃっていた。
✿越流提とは、水量調節のために堤防の一部を低くしたもの。
興味を持たれた方は、以下をご覧いただきたい。
このおかげで、昨年の記録的大雨の時も洪水による被害を免れることができたのだ。
実際、少し歩くだけでも、鶴見川ではこのような木々にちらほらと遭遇する。
けなげである。
むき出しの土がまだ新しい。
恐らく、昨年の大雨の時に流されそうになりながらも激流に耐え、しがみついて根を張り、上へ上へと葉を茂らせたに違いない。
人間も含め、色んな生き物が懸命に生きようとしている。
流れる川、木や雑草の緑、餌を探す鳥たち、上空に広がる空、それらを眺めながら歩くとなぜか平穏な気持ちになる。
人間には、そういう遺伝子が組み込まれているのだろう。
ある日青空の下、買い物帰りに遠回りして清々しく河原を歩いていると、いきなり黒い影が視界に飛び込んできた。
海の中で言えば、わやわやと楽し気に動き回る小魚たちの中に、突然現れた大きな黒いサメ。
明らかに、場違いで異質な存在だった。
なに?
鋭い牙を持ったシャークのような黒い影。
目をこらすと、
あの、オペンホウセ君、その人であった。
まだ、売れずにいたのだ。
最後のひと区画。
ラストいっこが!
とうとう、ここまで足を延ばして来たのか。
呼びかけてものったりと横たわって応えない、地面の土の皆さんと過ごす時間に終止符を打ち、ついに、小魚たちが楽し気に過ごしている明るい世界へとやって来たのだ。
人気のないところで、しんみりと地面と向き合いながら過ごす時間。
それはそれでいい時間ではあったろう、がしかし。
彼はまだ若い。
そりゃ~そうだろう。
ただ、寝そべっているだけの地面より、命みなぎる生き物に魅かれてしまうのは自然の摂理だ。
がんばれ。
若者よ。
君の人生はまだ始まったばかりなのだ。
若者を横目に見ながら遠ざかろうとすると、
「家建てませんか、良い土地ありますよ」
不意に声が降って来た。
そうであった。
黒い影を確かめようと、視線をやった途端ロックオンされてしまったのだった。
なんとこの日、彼はきちんと上着をはおり全身黒。
顔もまっ黒に日焼けしている。
カラフルなTシャツやランニングスーツが飛び交う中のブラック。
逃げ場のたくさんある河原では、全身黒まみれの異質なシャークなんか誰もが当然のようにスルーする。
まして、視線をくれたりはしない。
したがって、自分に向けられた視線は敏感にキャッチして離さない。
彼は再び、ロックオン営業に方針を転換したのだ。
いや待てよ。
もしかしたら、オペンホウセ君は、二人交代なのかもしれない。
前々回のロックオン営業がオペン君で、前回の地道な地面の友がホウセ君なのかもしれない。
とすると、今回のロックオン営業はオペン君なのか?
もはや、ワタクシに区別はつかない。
オペン君とてホウセ君とてそれは同じ。
前々回と前回の万歩計の歩数稼ぎのオバサンが同一人物だとは、気づきもしないだろう。
ある程度の年齢に達すると、人物の区別は難しくなってくる。大体、見た感じ同じように見えるのだ。そして、最終的には、もはや、オバサンなのかオジサンなのかもわからなくなるのだ。
んなこた、今、考えている暇はない。
なにかを返さねばならないのだ。
「あ、い、家は、家はありますから!」
歩みを止めずに、彼の前を通り過ぎながらワタクシは言った。
家はある?
なんという愚直な返答。
我ながら、そんな薄っぺらい返答しかできなかったことを後悔した。
「持ち家ですか?」「借家ですか?」「住み替えませんか?」とか追撃されたらどーすんだ。
心の中で自分をののしりながら次の一手を考えていると、ふいに後方から声がした。
「あは、あはは、そうですよね。
家、あるなら要らないっスよね。。。」
自虐するような力のない声だった。
簡単だった。
簡単に終わってしまった。
追撃もなかった。
それで良かったんだな。
オペン君よ。
ホウセ君よ。
小さくなっていく彼の姿を背中で感じながら、そのまま遠ざかった。
言いようのないモヤモヤだけが残った。
それから、一週間。
売り出し中の赤いのぼりがはためいていた、あの場所へと足が向いた。
別に暇だったわけではない。(言い訳)
前を通ると、そこにはもう、赤いのぼりも、一個だけのアルミ製のテーブルも無かった。
三区画分の土地が、緑色のビニールシートを被って静かに横たわっていた。
ただ、静かに。
やり遂げたんだね。
おめでとう。
オペン君なのか、ホウセ君なのか、オペンホウセ君であったのか今でもそれはわからない。