シニアーゼ〜まるくるみらくる

60代は余生じゃない。荷物を降ろした新しい人生の始まりなのだ。

言葉が姿を現す時にドキリとするのは

外へ出ると、かー!かー!とカラスの声がした。

ふと見たら、男の子が空に向かって カー!カー!カー!と鳴いている。
なんだ、声の主はカラスでなくカラス鳴きまね少年か。
目が合ったので、上手だね~~、本物のカラスかと思ったよ〜そう言いながらVサインして笑顔を見せたら、口を半開きにしてニヤリと笑った。
遠ざかっていく私の背中で、さらに勢いよく少年カラスは鳴いていた。
もしかしたら、その声につられて本物カラスもそこらへ来ているかもしれないな、そんな事を思いながら周囲の木々を見渡すと、本物カラスが少年カラスのずっと向こうでカーカー鳴いているのが聞こえた。


何気ないひと言が、誰かに影響を与える事がある。

教員免許を取るために教育実習に行った時のことだ。
お習字の時間に、机にきちんと腰かけて毛筆で字を書いている子供達を見て歩いたが、まだ、学生だった私は、指導しようとかそういった意図を一切考えることもなく思ったままに声をかけて回った。
へ〜、とか、ほぉ〜とか、もう少しこうした方がいいんじゃないかな、とか、うまいね〜とか、若い女子大生が普通にしゃべるそんなレベル。


数週間の教育実習を終えた最後の日に、子供たちから手紙をもらった。
その中のひとつに、こう書いてあった。
「習字の字をほめてくれてありがとう。私は今まで一度も自分の字をほめてもらったことがなかったから、うれしかったです。これからもがんばろうと思いました」

それを読んだ時、ゴーンと頭の中で鐘がなった。
あの子の字、褒めたっけ?
覚えてなかった。

言った本人すら覚えていないことを、言われた方は意外にも覚えている。
そのことに心が揺れた。
他の子に、心が潰れる言葉を投げてなかっただろうか。小さな傷つける言葉を考えもなしに置いてこなかっただろうか。
そっちが気になって、頭の中をぐるぐるとリサーチした。

私にとっては音声でしかない言葉が、こうして手紙に書かれた 字 という姿で目に見える存在となり、思いがけない重さとなった。
そして、彼女にとっては頭の中に入り込んで記憶として残った。


それからかれこれ40年ほど経ち、言葉に対してそれほど神経を使うことは無くなった。
数々の経験をして、ある程度波風立てない無難な言葉まわしができるようになったということだろうか。
それは、大人としては普通かもしれないけれど、つまらないなと感じることも多い。
モノゴトをハッキリとズバズバ言う人が好きなのも、遠回しはやめてなるべく正直に応えるようにしているのも、そのせいだ。
条件反射でない新鮮な言葉は、楽しい。
そして、反対側は思いもかけない鋭い刃物かもしれない。
思いもかけないものがステキな出会いになると信じて、恐れずに楽しんで使いたい。



私が投げた何気ないひと言が、少年カラス君の心に響いて、彼がその後、カラスの鳴きまねから本物のモノマネ師となり、さらに有名なコメディアンになったりしたら面白いな、そんな事を考えてクスリと笑い、青い空を見上げながら歩いた。