シニアーゼ〜まるくるみらくる

60代は余生じゃない。荷物を降ろした新しい人生の始まりなのだ。

人生のお楽しみスナイパーは足底腱膜炎だった

「歩くこと」は生きること。

そう言い切っていいくらい、私にとって歩くことはめっちゃくちゃ重要な楽しみ。

しかし!

なんとこの度、思いがけないスナイパーに忍び寄られていました。

忍び耐え続けた影武者の反乱と言ってもいいかもしれません。

それほどの激しい負荷を、物言わぬ忍びの者にかけていたとは!

驚きよりも、しみじみとした感慨を持ちました。

 

なんの話かと申しますと、

足の裏です。

足の裏が内乱を起こしました。

反乱の要因は、足底膜炎(そくていけんまくえん)(足底膜炎とも言うそうです)

 

始まりは、右足がなんじゃこれ?でした。

歩くと右足の踵が痛い。

歩かなければ何ともないのに、歩くと痛い。

最初は、夜になると痛くなり、

そのうち、夕方から痛くなり、

次第に、昼間でも痛いと感じるようになりました。

まずいじゃないか!

なんなのじゃ、これは。

右足だけっていうのも、変な話です。

 

右足は、若い頃から災難続き。

引っ越しの後片付け中、親指にタンスを落として骨折。

落とした瞬間、みるみる紫色に腫れ上がる親指。

痛みに耐えすぎてエイリアンみたいに凶暴な顔に七変化しつつ、

やっちゃった~!バカだな~!わたし!

あ~!ばかだ!

と身もだえていたら、

それを見ていた当時はまだ幼稚園児の次女が、

お母さん、ばかじゃないよ~!

泣きながら何度も叫んでたな~(遠い目)

あれ、精一杯の「だいじょうぶ?お母さん死なない?」だったんだろうな。

 

その後も、常にタイパで走りに走っていたので、あちこちで転倒。

(単に、おっちょこちょいの不注意あわて者、とも言う)

道行く人々に「大丈夫ですかー!?」と声をかけてもらうこと数回。

その度に「大丈夫じゃないです~!泣)でも頑張ります~!」

そういって般若みたいな顔で立ち上がり、右足を引きずりつつ仕事に通いました。

思いっきり、ヒビが入ってましたけど(笑)

そんなこんなの後遺症かな~。

 

とりあえず病院で診ていただいたところ、足底腱膜炎とのご判定。

足の裏にモモンガのように張り付いている筋肉(足底筋)があるのですが、この筋肉が踵の骨あたりで炎症を起こしているということ。

 

レントゲン写真を見ると、

かかとの骨から小さな棘が斜めに伸びています。

骨棘(こつきょく)というらしいです。

象さんが、大きく口を開けた所を横から見た時に、ちっちゃな牙が見えている感じ。

重症になると、この棘(骨棘)が下向きになるから治療も大変なことになるらしいです。

私の場合は、まだそこまでは行ってないので治りますよと言われました。

ヨカッタ!

 

思えば、昨年春に発足した「健脚系女子の会」はもちろん、

夏が終わる頃からは、会長兼代表がワタクシ、会員が夫T氏の会員全2名で構成された「健脚系家族の会」を新たに結成。

毎週のように2万歩近く歩き回っておりました。

だってね~、夫T氏も楽しそうだし、遠くへのお出かけだけじゃなくて、近場でも歩いてみたら、そこはすでにワンダーランド。新しい発見がいっぱい。面白くてやめられなかったんですよ。

 

さて、治療として先生に言われたことは、

・処方された薬を朝晩一回ずつ塗る

・踵の硬い靴はだめよ

・クッション性のいい、足底ふわふわの靴を履いてね

 そうそう今はいてるスニーカーみたいなやつね。

・足裏をこんな風にマッサージしてね (先生実演つき直伝)

・こんなのもいいよ (足の筋肉を伸ばす体操、先生実演つき)

・ここは押さえないようにね!

ラストの押さえない場所はわかりにくいので、そんなお願い無理かな~と思いつつも、先生に印をつけてとお願いしたところ、先生サッと三色ボールペンを抜き取り、赤ではなくシャキッと黒を選んで、ぐるりんと印をつけて下さいました(なんでも言ってみるもんですね)

 

現在は、痛みもほとんど無く快方に向かっています。

歩数を減らしたり、踵の部分に百均で買ってきたジェル状の踵保護シートを入れたりしてなんとなく安心感に浸ったりしております。

過ぎたるは及ばざるがごとし。

何ごともやり過ぎはあかんですね。トホホ。

東京メトロ半蔵門線半蔵門駅の壁にあったでっかいタイル絵。
皇居散歩にて(また行けるかな)