シニアーゼ〜まるくるみらくる

60代は余生じゃない。荷物を降ろした新しい人生の始まりなのだ。

ポタージュとラッキーウッドの鍋はデパートだった

先日、島根県で唯一の百貨店が閉店しましたね〜。

これで、デパートゼロ県は、山形・徳島そしてこの島根の3つになったそうです。

 

子どもの頃、50年以上前になるのかな、小さな地方都市に住んでいて、父が日曜日のたび「町に」行くよと連れて行ってくれたものでしたが、「町」とは、つまり「デパートや銀天街のある賑やかなところ」でした。

普段着の生活とはまるで違う世界。

見るもの目に入るものが、珍しく新しいものでした。

デパートに行くだけで、外国や美術館に行ったような気分だったと思います。

煌びやかの象徴、それがデパートでした。

 

そのデパートの隅にある小さなレストランで父と二人、毎回同じものをいただいて帰りました。

ポタージュです。

象牙色の厚みのある陶器の皿に入った濃厚なポタージュ。それを銀色のスプーンですくってひと匙ずつ食べるのですが、そのおいしさといったら!

すくいとるスプーンに粘りづく、ぼったりとした濃厚さ。

口に入れ喉を抜ける時の独特なバターの匂い。

あれは、どうやって作られていたのかな。

現在のお湯を注ぐだけでできあがるポタージュとはまるで別物。

少し成長して家庭科の時間にコーンポタージュの作り方を学んだ時、こんな風に作るからあの味が出たんだ!とアハ体験のように頭の中が閃いたのを覚えています。

確か、バターを溶かしてみじん切りにした玉ねぎをよ~く炒め小麦粉を纏わせたら、牛乳を少しずつ加えていくという、簡単なようで難しい技だったように記憶しています。

当時は現在のような材料の加工も、工程のアレンジも、スピーディかつ大量に作ることも無かったでしょうから、海外から持ち帰ったレシピをそのまま手間暇かけて作っていたのではないかと思います。

今はもうその店もなければ、そのデパートも別の大きな商業施設に変わったようです。

父が、毎回、なぜその店に通い、ポタージュだけを食べさせてくれたのか、それも今となっては謎です。

 

もう一つ、ラッキーウッド(小林工業株式会社)という上等なカトラリーを作るメーカーが、以前には鍋を作っていたのをご存知でしょうか。

私は、この鍋の5点セットを約40年前に購入しました。

そして、なんと40年間、ほぼ毎日使用しているにもかかわらず、今でも現役で元気に働いてくれています。

こんな丈夫で使い勝手の良いお鍋、他にないでしょ?と尊敬さえします。

あなた方は、すばらしい!

あなた方のおかげで、どんなに助けられたことでしょう!

本当にお世話になりました(まだまだお世話になりますが)

ラッキーウッドの、この鍋を作ってくださった皆様に感謝です。

 

そんなラッキーウッドの鍋。

嫁入り道具?の一つとして母が持たせてくれたのです。

当時の町一番のデパートで購入しました。

婚礼用具を選ぶコーナーにうやうやしく並べられていました。

ピカピカに光って、鍋というより宝石のセットみたいでした。

このラッキーウッドさんのものと、もう一つ倍の値段で売られていた5点セットがありましたが、私はこちらのラッキーウッドのセットを選択しました。

当時、セットで5万円くらいだったと思います。

40年前ですから、かなり高価な鍋だったんだろうと思います。

母と二人で選んだその時の様子を今でも覚えています。

当時、母が使っていたのは、アルミ製の軽い鍋ばかりでした。

あの時、母はどんな気持ちで私をあの場所に連れて行き、鍋を選ばせたのか。

年季が入っただけで今でもご立派。フライパンだけは重すぎて買い替えました

ラッキーウッドが何なのかも、鍋というものが生活にどんな役割なのかもよくわからずに手に入れた鍋たちでしたが、今では、これまでの人生を共に戦い抜いてきたなくてはならない相棒です。

 

私にとって、デパートはそんな

・煌びやかで

・上質なものが手に入る

だけでなく、誰かの思いが伝わる、伝える場所だったのかもしれません。

 

自宅の椅子に腰掛けたまま、なんでも手に入る便利な時代。

今現在、私にとって、そういう場所はどこなのかな。