60歳からをどう生きるか②
60歳。
この年齢を迎えるにあたって最も迷ったことは、このまま会社の継続雇用で走り続けるか否かということでした。
ありがたいことに会社は次の行き先を用意してくれました。継続となればひょいと乗っかるだけで何の労力も要らずにあと5年間を変わりなく過ごすことができます。
会社も仕事も嫌いではなくむしろ好きだし、会社員ならではのたくさんの保証もしてくれます。社内で通用するスキルも漏らさずにつけてきました。新しい人間関係の中で今までと同じことを続ければいいのです。新しい人間関係に怖気ずく年齢でもないし、多少苦手な雰囲気の部署でも少しずつ慣れて行けばいいだけです。
ならば、迷う必要など皆無。
なのに、なぜこんなにも迷うのか? 毎日、自分へ問いかけました。
一番の迷いどころ。
それは、年齢です。
現代の60代は、まだまだ体も動くし意欲もあるしひと言で言うと元気です。けれども、もはや40代や50代とは違うという実感がありました。
1 体力の減少
人生百年時代とか言って、まだまだ人生は長いですよ~みたいに吹聴されているけれど、今までと同様に生活できるわけではないです。
それは、50代からそろそろと静かに忍び寄って来ていて、少しずつ目に見える形で現れてきます。私の場合、ド近眼かつ老眼で遠くも近くも見えにくい上に白内障だった片目には人口レンズが入ってガチャ目。「見る」という行為さえ面倒です。頑張りがきかなくなってすぐに疲れたりもします。
若い頃と同じように動ける体の機能、いわゆる健康寿命は、もうそんなには残されていないのです。
2 働く意味の変化
子どもたちも巣立ち、背負うものも無くなりました。家族のためにガムシャラに頑張らなければいけない時代は終わっています。これからは、子育てに仕事に毎日休みなく働く世代の重荷にならないように暮らしていけばいいのです。おこがましいことを言えば、若い世代の手伝いが少しでもできるといい。
そのためには、働き続けることが一番いい、できれば死ぬ前日まで働きたい、ずっとそう思っていました。
ならばなおさら会社という車に乗り、車を動かす小さな部品として慣れた仕事を続ければ楽だし安泰です。
ですが、それでも迷ってしまいました。
3 老いてからも続けられる仕事か
会社という安泰な車に乗ってさえいれば、ものすごいスピードで変わって行く世の中への対応も言われるままに従うだけで苦も無く通り抜けられます。真面目にやっていれば給料はもらえるし、健康診断もしてくれる、何事かが起きても会社という守り神様がなんとかしてくれる。こんな良いことずくめなのに辞めるなんてデメリットしかないです。
それでも迷い悩んでしまった。それは、
「今の仕事ってどうなの?」ということ。
大きな理由はここにあるかもしれません。当時の私の仕事では、
〇 持っているスキルは、社内環境だから駆使できるし生かされるもの。社内の端末を使って初めて仕事ができるし、積み重ねて来た知識もルールも社内でしか通用しない。
〇 学んで来たたくさんの法律や知識も、世の中の変化であっという間に役に立たなくなる。
〇 会社と家を往復する毎日で、休日はほぼ肉体の休養と溜まっている家事。ご近所さんとのお付き合いはほぼ皆無。ていうか、むしろ放棄。
このまま適当に楽しく会社という温室の中で過ごし、65歳という微妙な年齢でその車を降りる。
しかし、温室を放り出されたその時に、自分の中に蓄えられているものって何があるだろうか。
会社から一歩出たら、何も持っていない丸腰の「ただの人」。
しかも、老いている。
ぽつーんとたった一人で佇んでいる65歳の自分が見えました。
まあ、今考えればなんとわがままな理由かと思います。長年かけて培ってきた社内での立場も信用も全て放棄したのですから。
③へつづく。