シニアーゼ〜まるくるみらくる

60代は余生じゃない。荷物を降ろした新しい人生の始まりなのだ。

尾頭付き現金を見てない世代がやってくる

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みなとみらいMMテラス1F GOHANYA'GOHANさん。お米がうまい!です。


昭和 → 平成 → 令和 と三つの時代を生きてきて、

世の中の変わりっぷりに目を見張る今日この頃。

 

特に、パソコンがこの世に出現し、iPhoneが生まれ、誰しもが携帯電話という名前の個人パソコンを持つようになってからは目を見張るものがあります。

少なくとも私にとって、スマホは小さなパソコンです。

 

そんな時代の波に乗って、恐ろしいくらい変わったもののひとつが お金 じゃないでしょうか。

 

今や、お金って、数字じゃないですか?

唐突ですけど。

 

去年まで金融関係の仕事をしてたんですけどね、

その業務の多くを占めたのが、端末の画面上で毎日大量の数字を動かすこと。

その中でだんだんと膨らんでくる思いがありました。

 

お金って単に 数字 じゃない?

 

キャッシュレスが進む以前から、ひと様の伝票や明細の印字はただの数字の羅列にしか見えてませんでした。

ひとつでも誤れば、帳尻が合わないシステムになっているし、色んなところに多大な面倒をかけることになる。だから細心の注意をはらって数字を動かす。

もちろん、不正もできないように人的にもシステム的にも幾重ものチェックがなされる仕組みにもなっています。

人々が、長い年月をかけて構築してきた堅固なシステムで。

そんな中、金額が大きかろうか小さかろうが、私にとって、仕事上のそれは、お金ではなく数字の羅列に過ぎませんでした。

小さく言いかえれば、ミスしなければOK。

 

画面を見つめながら、指先だけで数字を動かす世界。

指先ひとつで、その数字を増やしたり減らしたりする。

ミスをしないで潜り抜けるゲームみたいに。

その数字の中に、たくさんの見えないドラマが存在しているけど、そんなドラマは無視。

減るか増えるか、やってくるか、行ってしまうか。

 

例えば、一時間、あるいは一週間、あるいはひと月というスパンで色んな思いをしながら、色んな人と関わりながら働いて支払われる対価。

つまり、給料。

それが、口座の明細に 一行の数字の羅列 で記載される。

そして、その一行の数字、つまり、給料が 使う 支払う という形で少しずつあちこちに振り分けられ、少しずつ減っていく。

 

少し増えて少しずつ減らす。

人によっては、たっぷり増えて増え続ける。

増えた途端に、あっという間にいなくなる。

全く増えずにマイナスがついていく。

そんなふうにして、数字が動いていく。

数字の動きの中に、悲喜こもごものドラマがあるとしても、お金として現実に目に見えるのは、紙の上あるいはデジタルな画面の中に淡々と表示される、数字。

 

キャッシュレス化が進んで、数字のやり取りはますます盛んになった。

確かに、楽です。

財布にじゃらじゃら重たい硬貨が溜まらなくなりましたし。

管理だって楽ちん。だって、数字だけですもん。

ペイ関係でやり取りすれば、金額に制限はあるとしても、手数料も取られずに小学生だって簡単にやり取りできる。

 

 ほら、あの仮想通貨だって、そーゆーことなんじゃないですか?

各国の通貨の垣根とか概念を飛び越えて、デジタルの中で数字と数字を世界中で自由にやり取りしちゃおうぜ~! いぇ~い! ていうことなんじゃないの?

そのやり取りの足跡を確実に残していかなきゃならないんだけど、消え失せてしまうリスクもまだある。

 どっか、闇の世界に消えてしまった大量の仮想通貨もあったような。。。。。

まだまだ発展途上だけど、確実にそれを進めていこうという流れがひたひたと来ているように思います。

 

 封筒に現金で支給していた時代が良かったな~とか言ってるわけじゃないです。

現金が少なくなって、地球の資源的観点から見ても優れたアイデアだと思います。

こうやって、お金とか通貨とかいうものが、今後、その概念から変わって行くのかもしれないなと。

 

だって、現金を見ることなく育っていく子供たちの時代になるってことでしょ?

 

私の孫世代だと、きっと、お年玉もメッセージ付きでペイで送るんだろうな。

数字を。

もしかして、もうすでにそうなってる!?