シニアーゼ〜まるくるみらくる

60代は余生じゃない。荷物を降ろした新しい人生の始まりなのだ。

なんでやねん!長野シリーズ① 寒天のルーツ

長野県北部を旅していて、

???と思うことが2つありました。

しかも、ほんまのほんまのほんまに、

偶然にも、自分でも驚きなことに、

◯ん◯ん について、だったのです!

 

そのうちのひとつが、

寒天(かんてん)!

町を歩いていると、目につくんですよ。

かんてんのお店。

お土産屋さんはもちろん、カフェも。

寒天と言えば、原料は海藻 てんぐさ。

海でとれます。

長野県といえば、四方八方を山とか川とか陸関係の皆さまに囲まれている土地。

内陸です。

海が無いです。

海が遠いです。

なのになんで?

なぜに、まるで地域の特産品のような顔であちこちに出ていらっしゃるのでしょう。

なぜ~?

 

とはいえ、ほとんどが「かんてんぱぱ」のお店です。

かんてんぱぱは、長野県の伊那食品工業(株)さんで作られていますので、手がかりを求め、さっそくHPを訪ねてみました。

うちの会社はですね〜こういう歴史で〜かんてん製造の道を歩んで来たのです~という深い歴史的経緯を求めて訪問しましたが、残念ながら手がかりはありませんでした。

 

だからと言って諦めません。

スタスタとPCのキーを叩くだけで調べ物ができる時代。なんと便利な時代でございましょう。こんな時代が来るなんて資料を求めて図書館へ足を運んだけどほとんど何も見つけられなかったあの頃には思いもよらなかったことです。なんて時代なんだ!(感動)

 

そしてついに… 見つけました!

長野県公式観光サイト「GONAGANO」さんの中に。

リンク下に、内容をまとめてみました。

www.go-nagano.net

 

そもそも寒天は、天草などの赤藻類の煮汁を固め、一旦ところてんを作り、それを凍結・融解・乾燥という作業を数回繰り返して干物状にしたものです。

まず、このことを頭に入れてください。

つまりこういうことでございました。

 

①寒天は、偶然発見された産物だった

江戸時代に、京都・伏見の旅館主人が余ったところてんを外に放置していたところ、寒さで凍結し脱水して干からびていた。「あんれまあ、外にほっぽいたところてん、すっかり干からびてフリーズドライになってるでないの~。もしかして戻したら食べられるんでないの~?」(以上、くらすこ勝手な空想劇場発動)戻して食べてみると、なんと海藻臭さのない透明な良いものができたことから、関西を中心にだんだんと根付いて行った。

 

②諏訪地方に小林粂左衛門さんが広めた

小林粂左衛門って誰ですねん?って思いますよね。

彼は、長野県諏訪郡(当時)の行商人でした。

1830年頃のこと。小林粂左衛門さんは、訪れていた兵庫県丹波地方の寒天づくりを見て、これだ!と閃いたんです(たぶん)「なるほど、寒天ってこうやって作るんだ。我がふるさと諏訪郡の気候って、寒天づくりにピッタリなんでないの?諏訪地方で寒天作ったらいいんでないの~!」(以上、くらすこ勝手な空想劇場発動)と技術を持ち帰ったのが始まりだそう。

 

③寒天に、うってつけの気候だった

小林粂左衛門さんの読み通り、諏訪地方は寒天づくりにピッタリな気候だったのです。

屋外での製造には、寒さ・湿気の少なさ・寒暖差が必須条件でした。

諏訪地方は、

・標高が高い ⇒ 昼夜の寒暖差が激しい

・内陸性気候 ⇒ 晴天の日が多いので湿気が少ない

また、不純物の少ない地下水も、水を多く使う寒天製造にとって大きな利点でした。

 

④鉄道が開通した

「1905年に中央線が開通したことでテングサの確保が容易になった」と、このGONAGANOさんに記述がありました。が、おそらく、当時長野県の山岳地帯を走っていた中央本線のことではないでしょうか…。(ブラタモリで解明してくれないかな~)

 

さらに、調べて行く中で、もっと驚きの事実を知りました。

 

なんと! 寒天には、天然寒天と工業寒天がある

製造方法によって、大きくふたつに分けられる。

・天然寒天: 角寒天・糸寒天 (テングサが主原料)

・工業寒天: 粉寒天 (オノゴリが主原料)

 

なんと! 角寒天を生産しているのは、全国で今や、長野県諏訪地域だけ

角寒天は、自然を相手にした手作業で作られるもので大変に手間暇がかかります。

工業寒天では廃棄されてしまうアガロペクチンコレステロール低下作用が期待できる)を含んでいます。

 

なんと! 寒天の名付け親は、インゲン豆をもたらした隠元禅師

寒天を約さずに言うと何か?

先日、NHKの「チコちゃんに叱られる」の中で出されていましたね。

答えは、「寒ざらしのところてん」

和菓子(特に羊羹)で有名なとらやさんのHPにある「菓子資料室 とらや文庫」の中にある「歴史上の人物と和菓子」によると、インゲン豆をもたらした人物として有名な明の僧侶、隠元禅師(いんげんぜんし)が「寒ざらしのところ天」から「寒天」と名付けたということです。

 

面白いですね~!

 

寒天のお土産は軽いので、お土産に持って帰りましたよ。

寒天のお菓子です。おつまみ的な甘くない羽みたいに軽くてさくさくしたお菓子でした。
簡単にお味噌汁の具になります。食物繊維ガラクタンが含まれているそうです。
溶けてしまわないんですか?と尋ねたらぐつぐつ煮たりしなければ大丈夫とのことで購入

中はこんな ⇩ 角寒天をばらした感じ

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味噌汁にパッと浮かべて食べてみると、柔らかくわずかに歯ごたえもある、まさに海藻という感じです。

まだあと、もう一つ、◯ん◯ん謎(ハッキリ言ってどうでもいい)ありますよ~。