その日は、真夏のように暑い日であった。
外出自粛制限の中、許されている生活品の買い物に出かけた帰り道。
運動のために少し大回りして帰ろう!
ふと思いついて、遠回りすることにした。
ひと気のない住宅街を進んで行くと、赤いのぼりがちらちらしている。
赤いのぼりに、「売り出し中」の白い文字。
そこに、彼は、立っていた。
アルミ製の小さなテーブルひとつ。
胸の厚みではちきれそうな白いカッターシャツを腕まくりして、少しよれたスーツのズボンに埃を被った黒い靴。
白いマスクの下にはまだあどけなさが残っていそうな風貌が、髪の毛をパサつかせて肩をいからせていた。
何週間か前にも、その同じ場所で、やっぱり彼は立っていた。
その時もまた、万歩計(スマホ)の歩数を稼ごうと遠回りしたのだった。
そこは、掘り返したあとそれほど日数が経っていない、まだ、湿り気を含んだ茶色い土地が赤いロープで囲われていた。
以前の建物が取り壊され整備された土地だと容易にわかった。
庭のない小さな二階建ての家が建つ(あくまでワタクシの私見)広さの土地、三軒分。つまり、三区画。
赤いのぼりの脇には、ジャニーズの長瀬君が小学生となってCMを展開する不動産会社のロゴが。
おぺんほうせ (← あくまでCMの長瀬君読み)。
そう、彼はあの会社の営業マンのようであった。
前回、通りかかったその時は、まだ、まるまる三軒分残っていた。
彼は、近づいて来るワタクシを獲物のようにロックオンし、3メーター以内に来たところで「いかがでしょうかー!なんちゃらかんちゃら~」とかなんとか思い切り叫んで、若さの発散のまま躊躇なく挑んで来たのだった。
うーわっ。ま、まずい。
こんな人の通らないところでくそ真面目に大声でマンツーマンに営業されても困る。
面倒なので、そそくさと逃げるようにスルーして通り過ぎたのであった。
しかし、今回は違う。
こんなにもひと気のない場所で、恐らく上司から「おまえやれ」と言われ、「え、俺っすか。は、はい、わかりました。やります!」とか体育会系のがっつりしたよい子のお返事をし、言い渡された場所で「ここか~⤵」と思いつつも「頑張るしかないか!」と腹をくくり、何日もの苦難を乗り越え、今まさに、まだ!ここに立っている彼。
そんな彼を、見殺しにはできない。
人どころか猫だってそうそうは通らないようなところだ。
まして若くてきれいな女性なんか通らない。(きっぱり)
通るのは、万歩計の歩数を稼ぐためにのらくら歩いてくるチョットきれいめの(うそ)還暦のおばさん(ワタクシ)くらいなのだ。
スルーした一度目の時から、恐らく、2週間は経っている。
その間、若さ溢れる彼の人生の貴重な時間を、この物言わぬ茶色い土地と共に過ごしてきたのだ。
人生的に見れば、あっという間の時期である。生き物にとって黄金期といってもいい活力爆発期の極めて貴重な期間である。
年表にまとめたら、シャープなあごのラインの写真とともに、観客の目を一番に引き付ける時期である。
そんな大切な時間を、話しかけても応えず、のっぺりとしてただ横たわっているだけの空き地と共に過ごしてきたのだ。
雨の日も風の日も。
真夏のように日差しが照りつける今日のような日も。
そして、彼は悟った。
「誰かれ構わず声をかけても無駄である」、と。
なぜなら、前回のような若さに任せただけのロックオン営業を、彼はしてこなかった。
ワタクシに。
彼は、修行を積んだその目で、一瞬にして見抜いたのだ。
「ただの万歩計の歩数稼ぎオバサンじゃん」、と。
見透かされたこの時点で、すでに勝負はついていた。
しかし、ワタクシは、心の中で白髭の重鎮のじいさんのように静かに決意した。
今こそ、彼に声をかけようぞ、と。
真っ黒に日焼けした彼の顔に、息子を想う慈悲の心すら湧いている。
慈悲をまとった挑み。
怖いものはない。
まして、土地を買う気なども毛頭ない。
マスクの下で笑顔を作りながら、一気にたたみかけた。
「うわ~。暑いのに大変だね。え?座っちゃいけないの?
たった、ひとりでそこに立ってるのツラいよね~。せめて座れるといいのにね~」
すると、
「いやっ、別に座ってもいいんっスけどね。なんつーか、、、」
言葉を探すように大きな体を左右に数回揺らして、
「立ってた方がいいんスよ。」
少し照れながら、彼は答えた。
ワタクシの脳裏に、お気に入りのびっくりして飛び上がったパンダの LINEスタンプが閃いた。
「 す、座っても、、、座ってもいいだと!?
へー。椅子は無いけど? 座ってもいいんだ。意外に上司優しい?」
心の中で呟きながら、
負けた そう思った。
なぜなのだ?
なぜ、つらいどころか、「自分、一日中でも一年でも、こうやって辛抱強く突っ立ている方がいいんっす!自分!」(言ってはないけど)と、高らかに宣言できるのであろうか。ぐるぐると3秒くらい考えを巡らせた。
巡らせたが繋がらないスマホの画面のようにぐるぐるするばかりで、気の利いた返しは出て来なかった。
「ずいぶん焼けたね~。頑張ったんだねー!
。。。あ、でも、違うか!その日焼けは、サーフィンとかそっちか! ははは。。。」
かろうじて、「若いんだね」という言い古された言葉だけは吐かずに話を前進させることができた。
やったぜ、と心の中で若干ガッツポーズをしているワタクシに、
「違いますよ」
彼はそう言って、突然、白いマスクをはずして顔を見せた。
その顔には、くっきりと、マスクの形があった。
白いマスクをはずしても、また透明のマスクが出て来た。
肌色の透明マスクの中で、彼の笑顔がはじけていた。
顔の中に、マスクの形に焼け残った四角い跡。
それは、サーフィンや遊びでできた跡でないことの証明だった。
やり遂げた。
雨の日も風の日も、太陽に向かって真っすぐに立ち微笑むヒマワリのように。
彼は、正真正銘、体育会系の一本どっこ であった。
一本どっこの精神で、彼は、彼の仕事をやり遂げたのだ。
ところで、一本どっこって何?
明らかに混乱の渦に投げ込まれたワタクシは、言葉を失くした。
あとはもう、「仕事中にごめーん。ありがとねー」と手を振りながら、逃げるように立ち去るのが精一杯であった。
遠ざかるワタクシの背中に、彼の声が追いかけて来た。
「こちらこそー!
ところで、お友達とかで土地を探してる人いませんかー!
最後のひと区画なんですー!」
完全に負けた瞬間であった。
しかし、ワタクシは学んだのである。
マスクの下にあった、まぶしい彼の笑顔から。
思いついたのである。
なるほど。
透明なマスクがあったら、営業に有利であるな。
接客をする人々にとって、笑顔とは重要な戦闘アイテム。それが今や、封印されているではないか。目元だけで感情を表現するのは、なかなかに至難の業である。
ルパン三世に出てくるマモーみたいに、猛烈な数の皴をもってすれば可能であるかもしれない。
しかし、一般的には難しい。
ワタクシとて、すれ違うかわいい赤ちゃんやワンちゃんを、じろじろじっくり見たいが、敵意がないことを示す笑顔がマスクで封印されているので、無駄に近寄って来るただの怪しいオバサンに成り下がってしまう。したがって、残念ながら見れずにいるのだ。
透明なマスク。
いいな。
それが無理なら、マスクに笑顔を描いてしまう!というのはどうであろうか。
店に入ると、角刈りだろうがモヒカンだろうがまる禿であろうが、トンガリ眉毛でもカミソリ眼でも、満面のマスク笑顔があちこちにいっぱい。
それらが、一斉にこっちを向いて「いらっしゃーい」と叫ぶ。
別の意味での、若干の恐怖も味わえる。
ステキではないか?
表情の着せ替えマスクもいいかもしれない。
マスクが進化する時代がやってきたのだ。
そんなことを、彼から学び取ったある暑い日。