どうせ老いるなら〜シニアーゼまるくるみらくる

60代は余生じゃない。新しい人生の始まりなのだ。

65歳の分岐点を変えるもの

来年に本当の定年を迎える友人から、どうしよう〜のLINEが来ました。

60歳で定年はしたけれど、一年毎更新の再雇用でさらに働き、ついに来年、定年後の本当の雇い止め65歳を迎えます。

つい先日会った時には、それ絶対にあんたの仕事でしょーが!っていう面倒な用件を次々と振ってくる上司にキレまくって「辞めてやるー!」と息巻いていましたが、いやいや君が辞めた所で、特に困りもせず屁のカッパで会社は回って行くよね〜。復讐にはならんよ〜という話しをして、そうだよね、そうなんだよね〜、と持ち直しつつ溜め息ついてました。

 

ところが、今回また新たなお悩み発生。

あまりにも人手不足なので、65歳でホンマに雇い止めなところ、一年間延長しませんか?という打診がきたとの事。

 

上司に仕事を振られるのも、そんな上司に腹立つのも、仕事ができるし仕事が好きということです。

私から見たら、

・65歳なのに労せずして事務職をゲット!

・慣れ過ぎるくらい慣れてる環境!

・自分の采配で動ける仕事!

しかも、フルタイムではなくて週に3日くらいのパートでお願いされた!てことは、体力的にも余暇的にもバッチリ!

つまりは、

・まさに渡りに舟!であります。

ひとつ問題があるとすれば、延長期間が一年間のみということ。

レールのない人生の始まりが一年間先送りになったから、若くないその先の体力と気力がどうか?ということ。

しかし、パートタイマーになったことで増える自分の時間で、少しずつ仕事以外の「好き」を見つけて行けばいいよね。

この件、受けないでどーする!

 

そして何より、君には仕事以外の趣味がないでしょ!

つまり、「仕事以外にやりたいことが無い」のは仕事を辞めると何もしなくなる可能性が非常に高いことを意味するよね!

それでなくても運動不足で糖尿病予備軍に入っているというのに、通勤もしなくなり、外にも出なくなれば、甘いものでストレスを解消している君は、からだと心を病むよ。と私は思っていました。

 

しかし、若い頃から同じ会社で働き続けて現在に至る彼女は、自分は仕事ができる。65歳を過ぎてもいくらでも仕事が見つかる。という根拠のない自信を持っているのです。

いやいや、あのね、仕事を求められるのも、あくまで社内での話し。社内だからこそ認められての成果。今までの実績とつながりと深刻な人手不足というタイミングのおかげなわけで、新しい場所で現在と同程度の職が見つかるか?というとまず不可能。

 

失業保険が受け取れない?とか、年金が先送りになる?とか、社会保険はどうなる?とかで悩んでたけど、この年齢になったら、損得より、残りの人生時間をどう過ごしたいかが焦点じゃないかな〜とだけ伝えました。

残りの人生時間が、あとどのくらいなのかは誰にもわからない。

その人生時間を使うのは、彼女。

使い方の決定権は彼女でなければなりません。

東京散歩中に渋谷ストリームで出会った看板。向こうの出口には何が待っているんだろう?

その後、家族からのアドバイスを受けて、この件、受けることにしたと連絡が来ました。

働きに行かないと、一日中家にいて体を動かさなくなるよねと指摘されたということ。

やっぱり、家族は良くわかってるな〜。

 

会うたびに仕事の愚痴ばかり言ってる彼女だけど、それもまた、彼女の楽しみのひとつだし、仕事が生き甲斐だからこそ。

うざいけど!笑笑

同じやるなら楽しんでやれるのが一番なんだけどね。

そういう楽しみ方もあるということかな! 

 

健康年齢がこの先どんなふうに変化していくのかわからないけど、これから65歳入りする人は、どんどん多様化して行くんだろうな。

結局のところ、若い頃から何を選択してきたか、どう生きてきたかが反映するんだと思う。

若かりしあの頃、変に分別のある選択をせずに「やってみたい」を優先してチャレンジしていたらどうなっていたのかな、なんて思っても遅い。

だけど幸運なことに、平和な時代の国に生きている。

だから「今持っている未来時間」を無駄にはしたくないな。