長野の善光寺が思ってもいなかったお寺さんだったので書きたくなりました。
善光寺を訪ねるつもりはなかったのですが、例によって観光案内所でいただいた地図を眺めると、そこはもう善光寺タウンでした。善光寺のために道が作られ、善光寺のために区画整理がされている。(ように私には思えた)
善光寺は地図の上に君臨する王様でした。
(ブラタモリによると、地盤的にこの場所が最適の場所だったらしいです)
⇩ 上部ど真ん中の緑色地帯が善光寺区画です。
これは善光寺をはずすわけにはいきません。
長野旅の最終日、ゆっくり朝食をとった後、チェックアウトを済ませて長野の町へ繰り出しました。
遠くに見える山々がこの町を一層厳かにしています。
あの山々を目指していけば善光寺に辿り着くはず・・・
車道は広いし歩道も歩きやすい。
大らかな町だな~。
朝の空気が清々しい~。
気分よく歩いていましたが、いくら歩いても近づいてる感じがしない。むしろだんだんはずれて行く気がする。おかしいな~。
立ち止まって地図を確認すると・・・
やっちまったーーーーー!
あ~。
もう少しで地図上左側の裾花川(すそばながわ)に到達するところでした。
あ~あと落胆しつつ地図を見直すと、どこをどう大回りしようが、どっからでも結局のところ辿り着けるのが善光寺。そのような町の作りになっているじゃないですか。
だいじょぶ、だいじょぶ。
かくかく曲がったりしながら歩くことしばし、参道が見えてきました。
が……
ながっ!
真っすぐに善光寺に続く道を、キョロキョロしながらひたすら進む。
途中、誰もが知ってるあの店が ⇩
そうです。七味唐辛子の店 八幡屋礒五郎 ⇩
八幡屋礒五郎を通り過ぎ、かなり近まってまいりましたが、
まだ、とおっ!
そして、一直線! ⇩
建物と庭の木々が醸し出す風格に圧倒されながら眺めていたら、七五三のお祝い案内が。うちの孫もそろそろかな~なんて参考のために撮っておいたら、なんと!
この宿坊淵之坊さんにお宝があったらしいんです。
「なぜ人々は善光寺にひきつけられたのか」という問いへのひとつの手がかり。
百済から渡って来た仏像が、まさかの捨てられたり焼かれたり、聖徳太子や皇極天皇がいきなり出て来たり。最終的に庶民の本田善光がこのお寺善光寺を創建するに至るまでの奇想天外なお話しが展開されていて、当時の人々はこれを見たり聞いたりして、
おもしろい!
行ってみたい!
ってなったようです。
さて、やっとこさ門が見えてきましたよ。
この門の両側にある仁王像は、意外にも大正時代に置かれたそうです ⇩ 迫力です。
いよいよ近づいてきましたよー。
参道のお土産屋さんってなんか気分が盛り上がりますよね!
当時の人々も、信仰とレジャーのドッキングを楽しんだんでしょうね。
いよいよここをくぐると ⇩
デデーン。そびえ立つ善光寺さま ⇩
野外学習で来ていた小学生たちに説明している善光寺関係者のお話しによると、この「善光寺」という大きな額は、たたみ3畳分の大きさだそうです!
決して小学生に紛れて盗み聞きしたわけではございません。あまりにも大きな声でご説明なさっていたので、否が応でも聞こえてしまいました\(^o^)/
⇩⇩⇩
奥へ進み、お寺の中に入ってみるととても大きくて広い。
内部は撮影禁止でしたが、私の頭の中には築地本願寺のイメージが重なりました。
お賽銭をして、世界の平和だけをお祈りしました。
そう。フツーにお参りして帰ったのです。
ところが!
最近放送されたNHKのブラタモリが、偶然にも善光寺だったんです。
善光寺ならついこないだ行ったばかり。
見てみようかな。
何気になんとなーく見てびっくり!
善光寺って、人間に例えてみると
自己PR力と強運で立身出世したすごい人
(あくまで私が番組で得た情報から擬人化してみました)
・紫色が史実
・その下の黒色が擬人化してみた私なりの解釈です
庶民の家に生まれたが、自分の生い立ちについて奇想天外で面白い物語にして人々に伝えた。その話がとても面白いので噂は人から人へと伝えられ、ぜひ本人を見たり話を聞いたり触れたりしたいという人々が多数訪ねて来るようになった。
源頼朝に保護された
ラッキーなことに、当時人々の憧れの的だった最強の支援者(頼朝)までついた。
武田信玄にご本尊を持ち去られた
当時てっぺんにいた人(頼朝)が保護しているその力にあやかりたいと身勝手な武士(信玄)に誘拐されてしまうが、それさえ図らずして不運ではなく幸運となった。次々と超絶有名人の手から手へ渡り歩くことになったからである。移動の際には、おつきの武士だけでなく坊さんや商人らを大勢引き連れた大行列になったので、どれだけすごい人なんだろう見てみたい会ってみたい行ってみたいとさらに名を広めることとなった。
なんとピンチすらチャンスになったのです。
持ち去られたが、岐阜(信長)
⇩
浜松(家康)
⇩
京都(秀吉)
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出開帳で火事になった建物再建の資金集め
自宅が火事になるという災難に何度も会うのだけれど、建物の再建資金の調達にもまたアイデア力と実行力を発揮した。自宅にお招きできないから、こっちからお伺いいたしますよ~私に会えますよ~ぜひ自宅再建の援助をお願いしまーすという出張作戦。
たくさんの資金を得てさらに大きくなった。
7年(数えで)に一度の御開帳
織田信長に扮装したキムタクをひと目見たいと、岐阜にものすごい数の人々が訪れましたが、人々の心を掴む同様のサービスを行っている。
ご本人(本当は本人ではなくて代理の人)と柱を綱で繋ぎ、家の真ん前に立てる。その柱に触れるだけで本人に触っているのと同じですよという大々的ファンサ行事を7年に一度(っていうところがまた人を惹きつけるんだと思う)開催。
現在も、ご利益にあやかりたい、そう願う人々の心を鷲づかみにしているのです。
※なんと今年の御開帳では3~6月の3か月間に636万人もの人が回向柱を触るために訪れたそうです。
実際には、この回向柱はご本尊に繋がってはいない。なぜなら、ここのご本尊は絶対秘仏といって、住職すら見たことが無い仏像だから。綱で柱に繋がるのは前立本尊という、言わば本尊の代理なのです。
まあ、私がブラタモリを見ての勝手な解釈ではあります。
しかし、高僧が開いたわけでもなく、高名・有名な人の墓があるわけでもなく、庶民そのものであった本田善光が開いたお寺だったとは驚きでした。
てなわけで。
さあ、戻ろうと振り返ってふとみると。
あれ?
あんなところに人がいる・・・? ⇩ 善光寺を背にした山門です。
入口…? ⇩
この門は、登れるんですか!
どうやらこの山門だけでなく、善光寺にも登れたようです。
山門拝観回廊めぐり1回 500円。
券売機で購入できました。
善光寺&山門に登るペアチケットもありました!
靴を脱いで上がって行くと、直角か!っていうくらい急で、一人しか通れない第一の関門ですといった風情の階段が現れます。長い歴史を物語るつるっつるに滑りやすくなっている木製の階段。一周回って帰りもその階段から降ります。絶対に足を滑らせて落ちる人がいるだろうと思える階段です。
その階段から先、内部の撮影は禁止。
回廊から外の景色は撮影可。
なかなかの眺めです。
なんとワタクシはここで、さっそくのご利益を賜りました。
素敵な若い男性に後ろから声をかけられたのでございます、よ!
後ろから、ですけど何か?
韓国のエリートさんか中国系のお金持ちのぼんぼんか?といった風情なんだけど実はカリフォルニアから来たというので、そんな寺とか無縁そうな所からですかいっと思わずグレ~ィト!と叫んだ私です。
最初のひと声が、うっじゅ~(would you~)。
ってね、単に、写真を撮ってくれませんか、でした~(笑)
写真を撮り合い、良い旅をと言い合ってすぐにそれぞれの旅に戻りました。
いやですけどもね。いくつになっても、若い男性に声をかけられるなんて、なんだか浮かれ気分になるもんですね~。
私があと30…いや40歳くらい若かったらロマンスに発展したかも~ウッキー!という夢想でしばらくは楽しめました。
さすが、身分・性別を問わずに庶民の心のよりどころとなる善光寺様です。
ありがとうございました。