「週刊新潮」の表紙絵を見て、ずっと、なぜこの絵を選んでいるのだろう?なんとなく田舎くさくて地味で、ハッキリ言ってダサい、そう思って、新潮の表紙はあまり好きではなかったのです。
ところが、先日、何気にテレビの番組表を見ていて、「谷内六郎」という名前に目が留まりました。
あれ?この人誰だっけ?どんな絵を描く人だっけ?
私が言うと、夫T氏が、見たらすぐにわかるよ、というのでちょっとだけ覗いてみることにしました。
T氏が言うように、すぐにわかりました。
「週刊新潮」創刊時から25年に渡って表紙絵を描き続けた画家。
谷内六郎さん。
「日本人の忘れかけていた風景」を描くと言われています。
そして、そこからぐいぐい引き込まれてチョイと見るつもりがとうとう最後まで見てしまいました。
プリミティブな絵画。あったかくて、気取りもてらいも無い。
若い頃は、どの絵にも登場してくるこけしのような人物、特に子供たちの姿がどうしても好きになれずにいたのです。でも、今回はそれさえも愛おしく、彼の脳内で変換され描かれた世界にいつしか胸が熱くさえなっていました。
「すごくいいねー。若い頃は、全然いいと思わなかったのにね~」
感動していると、T氏が言いました。
「うんうん。すごくいいねぇ。この絵の良さがわかるようになったということは、それだけの年月を生きて来たってことだよね。」
確かに、この歳になるまでにたくさんの事を経験したからこそ見えるようになったこと。
子どものかわいさ愛らしさ、何気なく見上げた時の空の雲や、遠くに見える一瞬の景色、道端で風に揺れている健気だけど力強い花や葉っぱ、そんな些細なことにさえ心を奪われるようになりました。
やっと、気づけるようになったと言ってもいいかもしれません。
嫌なことがあっても、空を見上げて移り行く雲の形を眺めたり、脇をすり抜けながら大声で談笑する小学生たちに目を細めたり、そんな小さなことに心が癒されていくことが増えました。
それは、今はやりのマインドフルネスとか言うものに通じてるな~なんて思うのですが、歳を重ねるにつれて少しずつ心の平穏を保つ技を習得してきたということかもしれません。
「生誕100年 谷内六郎展 いつまでみてもつきない夢」
横須賀美術館にて、令和3年 9/25~12/12まで開催中だそうです。
思うに、彼の絵画の上に「週刊新潮」のあの文字があるせいで味わいが違っていたんじゃないかな~。
タイトルのない、素のままの彼の絵を見に行かなくてはなりません。